第十七教訓 修道院の指導者たちと弟子たちに宛てた手紙

どのように兄弟たちを指導するべきか、どのように指導者に服従すべきか

もしあなたが兄弟たちの指導者なら、痛悔の心で、寛容を持った憐れみの心で兄弟たちの世話をしなさい。その際、行いと言葉で、善行を彼らに指導し教導しなさい。そしてより行いを通して指導しなさい。なぜならば実例は言葉よりさらに効き目があるからです。もしできることなら、肉体労働においても彼らの模範になりなさい。もしもあなたにその力がなければ、霊(たましい)の良好な状態と使徒が列挙している聖神の実において模範となりなさい。使徒は言っています。「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、全ての欲望からの節制。(ガラティヤ(ガラテヤ) 五章二十二、二十三節)」において、と。犯した過失のことであまりにも怒らないように。逆に困惑することなく、過失から来る害を証言しなさい。叱責する必要がある時は、状況によって都合の良い時を選びなさい。あたかも、あなた自身は完全に正しい人であるかのごとく、小さな過失に対して厳しく咎(とが)めたり、しばしば罪を暴露したりしないように。なぜならこれはやりきれないことで、暴露することに慣れると無感覚や冷淡に陥ってしまうからです。権威的にではなく、兄弟に助言するかのごとくに、謙遜に命令しなさい。なぜならこのような言葉は受け入れやすいし、隣人をより強く確信させ、安心させるからです。

兄弟があなたに敵対し、あなたが困惑する時、決して何についても怒って話さないように、舌を制しなさい。そしてあなたの心が彼に対して高ぶらないように。逆に彼はあなたの兄弟なのだ、ハリストスにおける一員なのだ、神の像なのだ、我々の共通の敵から誘われているのだ、ということを思い出しなさい。怒りをもって彼を傷つけている悪魔が、彼を虜(とりこ)にしないように、恨みをもって彼を殺さないように、我々の不注意から彼の霊が滅びないように、彼のことを哀れみなさい。なぜなら彼の霊のためにも、ハリストスは死んで下さったからです。あなたも怒りの欲望に捕らわれることがあることを、思い出しなさい。そして自分自身の弱さを考慮して、あなたの兄弟に対して同情心を抱くようにしなさい。そして他人を赦せる機会が与えられたことを感謝しなさい。それはあなたも神からさらに大きく、かつさらに多くの罪の赦(ゆる)しを受けるからです。なぜなら次のように言われているからです。「赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。(ルカ六章三十七節)」あなたはあなたの兄弟が、あなたの忍耐から害を受けると思ってはいません。しかし使徒は善によって悪に勝ちなさいと命令しているのであって、悪によって善に、とは命じてはいません。(ロマ十二章二十一節)師父たちは次のように言っています。もしもあなたが、他人に対し小言を言い、怒りに捕らわれるとしたら、あなたは単に、自分自身の欲望を実行しているにすぎない、と。ところで思慮深い人間なら、隣人の家を建てるために、自分自身の家を壊さないでしょう。混乱が続くようなら、自分の心を強いて、次のように言って祈りなさい。「憐れみ深く、人を愛する神よ、爾(なんじ)の言い尽くされぬ仁愛によりて、爾の善を楽しむがために我々を無から創造し、爾が獨生子(どくせいし)、我らが救主の血によりて、爾の戒めから離れし我らを呼び返すものよ。今も来りて、我らの弱さを助け給え。かつて爾が荒れ狂う海を叱りしごとく、今も我らの心の憤りをとどめ給え。蓋(けだし)一時に我ら二人、罪によりて死せし爾の子らを爾が失わざらんためなり。かつ我らに言うなかれ。『我墓に降(くだ)らば、我が血は何の益かあらん、(第二十九聖詠十節)』『我誠に爾等に語(つ)ぐ、我爾等を識(し)らずと。(マトフェイ二十五章十二節)』。蓋我らが燭台の油は切れて消えしによる。」このような祈りの後で、あなたの心が落ち着いたら、その時は理性的に、かつ心の謙遜をもって使徒の戒めに基づき、弱い一員として、兄弟の罪を暴いたり、威(おど)したり、諭したり、同情心をもって癒したり、改めたりすることができます。(ガラティヤ六章十二節、ティモフェイ(テモテ) 後四章二節)なぜならその時兄弟は自分の残忍さを悟り、あなたの指示を信仰をもって受け止め、あなたは自分自身の平安によって彼の心とも和解するだろうからです。それゆえ、あなたをハリストスの聖なる戒めから引き離すものは何もないはずです。「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。(マトフェイ十一章二十九節)」なぜなら何よりもまず先に、たとえ正当な言い訳を口実にしたとしても、平和な状態を心がけなければならず、戒めのために決して心を騒がせてはいけないからです。その際、私たちが全ての戒めを実行するのは愛と心の清らかさのためであるということを確信していなければなりません。このように兄弟に指導を与えながら、あなたはかの声を聞くでしょう。「爾もし、賤(いや)しきより貴きを出さば、我の口のごとくならん。(イエレイミヤ(エレミヤ)書十五章十九節)。」

もしあなたが従順を行っているのなら、決して自分の心を信じてはいけません。なぜなら心は古き人の執着によって、暗くなっているからです。何一つ自分の判断で行ってはなりません。そして質問し助言を得ない限り、何も自分で自分に課してはいけません。あなたが自分の指導者よりも良く、より正しいと思ったり、仮定したりしないように。そして指導者の行いを調べないように。さもないとあなたはしばしば騙されて、誘惑に陥ることになるからです。なぜならこれは凶悪なる者の欺きで、彼は信仰によって行っている従順を阻止し、従順によって生じる確固たる救いを、我々から奪おうと願っているからです。このように行うことで、あなたは平静に安全に服従し、迷うことなく我々の師父たちの道を行くでしょう。自分を強いて、全てのことにおいて自分の意志を棄てなさい。そうすればハリストスの恩寵により、学びを通して、自分の意志を棄てる習慣が身に付くでしょう。そして悲しみなしにこのことを行うようになるでしょう。そうすれば全てがあなたの望み通りに行われることになります。しかし全てがあなたが望んでいる通りに行われるようにと望まないように。そうではなく、それがなるようになったらそれでいいと願いなさい。このようにして全てのことに平安でいられるでしょう。とはいえ、これは神や師父たちの戒めに反さない限りにおいてです。全てのことにつけ自分自身を責めて修行しなさい。そして自分のことを何者でもないと思いながら戒めを理性的に実行しなさい。我々に起きることは全て、最も微細なものまでも、神の摂理によって起こるのだと信じなさい。そうすれば、あなたは困惑することなしに、あなたに起こること全てを忍耐することでしょう。

侮辱や非難はあなたの霊の傲慢を癒す薬だと信じなさい。そしてあなたを非難する人々のことを、あなたの霊の真の医者として祈りなさい。というのは確実に、侮辱を憎む者は、謙遜を憎むのであり、自分を悲しませる人を避ける者は、温柔をも避けるからです。あなたの隣人の悪癖を知ろうと望まないように、敵があなたに吹き込む猜疑心を彼に対して抱かないように。もし我々の罪深さのために、猜疑心があなたの中に起こるのなら、それを善なる思考に変えるように努力しなさい。全てのことを感謝し、仁慈と聖なる愛を身に付けなさい。何よりもまず、神に対しても、隣人に対しても、物に対しても、全てのことにおいて、我々みなが良心を守ろうではありませんか。何かを言ったり、行ったりする前には、これが神の意志と合致しているか検証しましょう。そしてその時は、祈った後、このことを言ったり、行ったりしましょう。そして我々の弱さを神の前に打ち明けましょう。神の仁愛は全てにおいて我々を助けるからです。

蓋(けだし)、神に凡その光栄、尊貴、伏拝は世々に帰す、アミン。