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現代の長老たちの教訓より

(聖山アトスや他の恩寵に満ちた場所にいる長老たち)

Наставления Современных старцев

Святой горы Афон

И других благодатных мест

 

「愛」

Любовь

 

アンフィローヒー長老は助言した。「「唯一者(神)」を愛しなさい。そうすれば多くの人々があなたを愛するだろう。人々だけではなく、言葉をもたない動物たちも。何故なら神聖なる恩寵が表に現れる時、自分の前にいるものに刺激を与え自分に惹きつけるからである。そしてあなたを愛するだけでなく、尊敬するだろう。何故ならあなたの中に、あなたが愛し、あなたが仕えている神の無玷(むてん*1)なる面影が現れるからである。」

静寂主義者のイオシフ長老は自分の修道士たちに語った。「わたしたちが神の光栄に向けなかったものは、他のもの(凶悪なる悪魔)が利用する。何故なら主は私たちに霊(たましい)を尽くし、心を尽くして神を愛する戒めを与えたからだ。それは凶悪なる者がわたしたちの中に自分の居場所を見出して安息することが出来ないためである。」

アンフィローヒー長老は、私たちがハリストス(*2)に対して抱かなければならない愛について語った。「私たちの心にハリストスへの愛が無い時、私たちは何もすることができない。私たちはそのとき、エンジンのための燃料がない船のようである。」そして付け足した。「常に愛をもってハリストス、我等の救世主のことを思おう。霊に喜びが満ちるように。」

愛は決して涸れない。愛は多くの人に向けられても、小さくなることはない。このことをエピファニイ長老は語った。「本物の愛は蠟燭の炎に似ている。一本の蠟燭からどれだけ他の蠟燭に火をつけても、最初の炎は完全のまま残る。炎は少しも減らない。そして新しい蝋燭もみな、他の蠟燭と同様の炎を持つのである。」

イオシフ長老は語った。「恩寵が祈る者の霊の内に作用する時、神の愛が豊かにそそがれるので、人は感じるものを留めることができない。その後この愛は世に、人に向けられる。祈るものは人をたいそう愛しているので、自身全ての人類の痛み、不幸をわが身に引き受けたいと望む。それはその痛みや不幸から他の人を解放するためである。概して、祈る人は一人一人の悲しみや困窮に同情する。言葉をもたない動物たちにも同情する。故に彼等の苦しみを思う時に、泣く。これは祈りの際に生じる愛の特性だ。故に祈りに練達した者は世界のために祈り続ける。まさしく彼等のおかげで神は世界を存続させているのである。たとえ人々がこのことを自覚せず、義人を評価しないとしても。彼等がいなくなる時、その時世の終わりが来るということを知りなさい。」

またイエロニム長老は語った。「人々を多く愛したいか。私たちのハリストスを多く愛しなさい。そうすればどれほどあなたが人々を愛するかわかるだろう。たとえ彼等を見なくても。」

愛はハリスティアニン(クリスチャン)の主要な特徴でなければならない。アンフィローヒー長老は語った。「私たちはハリストスの人格に対する愛を持たなければならない。そしてこの愛は私たちの霊にとって必要不可欠なものである。神の被造物への愛、動物、木々、花々、鳥、そして何よりも神のもっとも完全な被造物である人間への愛である。」

同じく長老は助言した。「我が子よ、天の愛が常にあなたの心を満たすように。そしてその愛がただ高尚な神聖な望みにのみ注がれるように。その時、あなたの心が神の宝座となった時、あなたが拝していてあなたと対話するのを喜びとしている『花婿(ハリストス)』の神聖なる対話を聴くだろう。」

私たちは教会の聖師父と彼等が行った禁欲主義的な修行に驚嘆する。しかし何がまさに彼等を強め、支えたのだろうか。アンフィム長老は説明した。「聖師父たちは神へのゆるぎない信仰に守られ、神聖なる愛に燃えていた。神は摂理的に彼等から離れたが、それは彼等が苦しみと痛みを感じるためであった。しかし次に神は彼等をその恩寵で豊かに慰めたので、師父たちにとって地上のものはすべて取るに足らない、退屈なものに感じられた。」

パイーシー長老は語っている。「神の愛で養われた者はしばしば物質的な食物には無関心である。何故なら神との交わりの甘美さがあたかも外的な感覚を打ち消してしまうからである。」そして付け加えた。「心に神の愛の火をつけられた時、心はそれ自体炎となり、心に触れる虚しごとを焼きつくす。このような人が生涯の中で火のような試練を通る時、彼は内的な世界をもつこととなる。」

我々を侮辱したり、悲しませたりする人々に対してもたなければならない愛についてポルフィーリー長老は助言を与えた。

「どのような形でも私たちを悲しませ、害し、中傷し、侮辱する人々一人一人が、私たちの兄弟なのだ。彼等は悪党である悪魔の手に落ちてはしまったが。もし私たちがこの兄弟と会うならば、かれについて大変悲しみ、同情する必要がある。そして静寂のうちに温かさをもって、試練の困難な時期に私たちを支えてくれるように、悪魔の犠牲となった私たちの兄弟を神が憐れんで下さるように神に祈らなければならない。そうすれば、神は私たちをも、私たちの兄弟をも助けるだろう。」

同じ長老が隣人への愛について次のように語った。「私たちの兄弟が過ちを犯したとき、私たちは彼の誘惑を寛大に耐えなければならない。真の愛は私たちを隣人のための犠牲となろうと奮い立たせる。犠牲なしに、自分の裁きで、私たちは罪を犯す兄弟をさらに堕落せしめるのである。同時に私たちの愛の沈黙なる犠牲と彼のための隠れた祈りで私たちは彼の良心を呼び覚まし、その良心は起きあがり、彼を裁く。そうして彼は悔い改め、更生するのである。」

愛の長所についてフィロフェイ長老は語った。「もし人が家を建て、しかも家に屋根をつけなかったら、この家は何の役にも立たない。同様に人も全ての善行を身につけながら、愛を持たなかったら、彼の善行の家には屋根がなく、役に立たないものとなるだろう。」

ポルフィーリー長老は語った。「霊の中にハリストスが住んでいる真のハリスティアニンはすべての人を愛すること以外の何者にも適さない。彼は自分の敵でさえ愛する。」そして付け加えた。「友人への私たちの愛の中には何か異質なものがある(エゴイスティックな勘定、虚栄心、誰かに対する感覚的な弱さ)。しかし愛の王冠である敵に対する私たちの愛は清らかなものである。」

従順、これは愛の条件である。静寂主義者イオシフ長老は語った。「真の愛は従属なしにはありえない。他の人の意思に伏さないで、どうして愛と奉仕をしめすことができるだろうか。真の愛のあらゆる動きは、奉仕である。ということは、つまり、従順なるものは二倍の努力を加えるのである。一方では務めを与えた人への信仰、他方では務めを行う際に用いられる愛である。」

ドラム町のゲオルギイ長老もハリスティアニンの愛を教えた。「自分の兄弟である仲間を皆愛し、最初に彼に悪を行った者を赦すハリスティアニンは偉大なる尊厳と報酬を持っている。ゆえに私たちがよいことをすべて行いながら、自分の隣人を愛さなければ、私たちは何もしていないのである。わたしたち自分自身がゼロ、無である。我が兄弟よ、神は私たちからの愛を待っているのだ。」

ポルフィーリー長老は語った。「他の人があなたを愛するためには、先ずあなたが彼等を愛さなければならない。」

訳注

*1 無玷(むてん):非難の余地ない完全なこと

*2 ハリストス:キリストのギリシャ語、ロシア語読み

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