オプチナの克肖者アンブローシー長老の伝記
(*克肖者とは修道士で聖人になった人への敬称。神に似た者となった、との意味)

オプチナの克肖者アンブローシー(俗名アレクサンドル)は1812年11月23日にタンボフ県のボリシャヤ・リポーヴィツァという村に生まれました。彼は子だくさんの家庭で生まれ、父、ミハイル・フョードロヴィッチ・グレンコフは教会の堂役をしていました。父方の祖父は聖職者で、教会の主管者をしていました。母はマルファ・ニコラエヴナ・グレンコワという人でした。アレクサンドルは12歳の時にタンボフの神学校に入ることになり、その後タンボフの神学大学に入学しました。アレクサンドルは神学校の最後の学年で大変重い病にかかり、彼は健康が回復したら修道院に行くと神に誓いました。しかし健康を取り戻しても、数年間は誓いの実行を遅らせていました。成功裏に神学大学を終えたアレクサンドル・ミハイロヴィッチは最初家庭教師をし、その後リペツク神学校の教師となりました。結局1839年にアレクサンドルはカルーガ県の生神女進堂オプチナ修道院の克肖者スヒマ修道司祭レフ長老(記憶日旧暦10月11日)のもとに行きました。アレクサンドル・グレンコフは、修道院のスキートと言われる分院で調理補助の従順をこなすことになりました。汚く、きつい調理の仕事もかつての神学校の教師を困惑させることはありませんでした。彼は従順が自分には合わないとか、自分の力以上のものだ、と自分で判断するのをやめました。逆に、主ご自身の口からの言葉のように受け止め、謙遜に任務を受け入れました。彼は一日の大半を調理の仕事に費やしました。彼が奉神礼に預かれることは多くありませんでした。そしてこのことが彼に内的な祈りを教えることになったのです。

三年後、アレクサンドルが30歳になったとき、彼はメディオランの成聖者アンブローシー(記憶日12月7日)の名をもらって修道の剃髪を受け、修道輔祭として按手されました。二年後には修道司祭になりました。アンブローシー神父は重い病にかかり、スヒマの剃髪を受けました。その後健康は回復していったのですが、完全に健康を取り戻すことはもはやできませんでした。アンブロ―シーは自分の病のことで悲しまず、それを自分の魂を教育する必要不可欠な手段とみなし、病気の人々への慰めに言いました、「神は病人から肉体的な偉業を要求してはいません。ただ謙遜に忍耐し、感謝することを求めていらっしゃるのです。」

修道司祭アンブローシーは、自分の霊的指導司祭である克肖者スヒマ修道司祭マカリイ長老が霊的指導司祭として行う仕事を手伝うことになりました。来訪者を受け入れ、聖師父や霊的な内容の本の翻訳や出版に参加しました。克肖者マカリイの死後(1860年9月7日)克肖者アンブローシーは兄弟たちの霊的指導者になりました。彼の助言を求めて何千という信者また未信者がロシア中から訪れました。彼の助言を求め、対話のために訪れたのは、コンスタンチン・コンスタンチノヴィッチ・ロマノフ大公、F.M.ドストエフスキー、V.S.ソロヴィヨフ、K.N.レオンチェフ(修道士クリメント)、A.K.トルストイ、L.N.トルストイ、M.P.ポゴジン、その他の多くの人々でした。克肖者アンブローシーは無駄口を言うことを決して己に許さず、ただ悔い改めと教訓のためにだけ話をしました。「いかに生きるか」という切実な問題に対し、彼は機知に富んだ答えをしました。(しばしば韻を踏むように)「誠実に生き、周りの人々の見本となるように振る舞わなければなりません。その時我々の物事は正しく行われ、そうでない場合は上手くいかないでしょう。」「悲しまずに生きなさい、誰をも裁いてはいけません。だれをも苛立たせてはいけません。そしてすべての人に対して尊敬をもって接しなさい」「世俗で生きても構いませんが、ただ目立たずに、静かに生きなさい。」長老は語りました。「私達は車輪が回転するように地上で生きなければなりません。ある一点が地面に触れると、他の部分は必ず上を目指します。一方で私たちときたら、地面に一度横たわると起き上がることができないものです。」克肖者アンブローシーには慧眼の賜物がありました。彼は病人を癒し、困窮している人々、貧しい人々を助けました。助けを与えるために、長老は離れていても、幻のように、または夢の中で人々に現れました。克肖者アンブローシーによってカザンの生神女シャマルジノ女子修道院が設立されました。ここに彼は助けを必要としている病人や、貧しいが敬虔な女性たち、娘さんたちや孤児を送って住まわせました。克肖者アンブローシーは全ロシアのための偉大なる祈祷者でした。祈りの時、彼の顔が変容しているのが見えました。

克肖者アンブローシーは1891年10月10日、シャマルジノ修道院で永眠され、克肖者マカリイ長老の棺と並んで、オプチナ修道院で葬られました。永眠後もアンブロ―シー長老はロシアの様々な場所で人々に現れました。病人を癒し、苦しんでいる人を助けました。アンブロ―シー長老の聖性は彼の隣人に対する実際的な愛に現れました。正教の民は常に深い尊敬の念をもって長老に応えました。1988年ロシア正教会の地方公会で克肖者アンブローシーは神を喜ばせた聖人たちの列に加えられました。発見された彼の尊貴なる不朽体はオプチナ修道院の生神女進堂聖堂に安置されています。

記憶日が祝われるのは旧暦で10月10日、同様に6月27日(不朽体発見日)。そしてオプチナの長老の会衆祭の10月11日です。