克肖者ドロフェイの質問 及び聖なる長老、大ワルソノーフィーと預言者イオアンの与えた回答
質問一 聖なる長老預言者イオアンへ。 私には財産があります。私は財産の一部を修道院へ寄付し、他を貧しい人々に分け与えたいのです。我が父よ、私におっしゃって下さい。私は師父を通してそれを分け与えるべきでしょうか。
回答 兄弟よ、最初の質問の時、私はあなたにまだミルクが必要な人のように答えました。今はと言えば、完全にこの世を棄てることについてあなたが言っているのですから、聖書の次の言葉に従って注意深く聞きなさい。「爾の口を開け、我之を満てん。(第八十聖詠十一節)」兄弟よ、何をなすかは最悪なる私があなたに教えるべきではありません。そうではなく、聖使徒行實(使徒言行録)に書いてあることによく従いなさい。自分の財産を売って、使徒の足元に代金を置いた人々についてです。「その金は必要に応じて、おのおのに配されたからである。(聖使徒行實(使徒言行録)四章三十五節)」彼ら自身で分け与えたのではなく、使徒を通して分け与えたのです。つまり自分たちは慮りや、財産や、虚栄心から自由になったのです。もしこのレベルにまで達したいと望むのなら、このようにあなたも行いなさい。静穏を楽しみ、全ての慮りを棄て、平穏に、神のために生きなさい。兄弟よ、ある人々が師父イサイヤに与えたものと比べて、あなたの財産は極めて取るに足りないものです。その人々は師父に何万と持ってきて言いました。「あなたの思うように、これらを分け与えて下さい。」どこに、どのように財産を与えるかとは言いませんでした。このようにして完全に導くことを行い、彼らはすでに慮りなく生活していたのです。もし神の御旨が、あなたがこの喜ばしい状態に達することにあるのなら、あなたは、あなたの重荷を担ってくれる人に、感謝をしなければなりません。あたかもただ悪を蒔(ま)く者が、あなたの財産を受け取った人はあなたに感謝しなければならないというような思いをあなたのうちに蒔くことがないように。願わくは神は霊(たましい)の救いのために、あなたにとって有益なことを整えて下さいますように。
質問二 同様の兄弟が偉大なる長老ワルソノーフィーに質問したこと。 「自分の師父を通して財産を分け与えるべきでしょうか。それをいかに誰に分け与えるべきでしょうか。」
回答 我が子よ、願わくは主があなたを祝福して下さいますように。あなたは煩いから自由になることを望んでいます。そして同時に自分の固有の意志を持つことを望んでいません。ただ言いなさい。修道院にいくら、貧しい人にいくら支払うか。そしてそれ以上思い煩ってはいけません。なぜなら従順は自分の意志を持たないことだからです。主が「霊は全世界よりも尊い。(マトフェイ(マタイ)十六章二十六節)」と言われているあなたの霊以上に価値あるものがあるでしょうか。もしもあなたが霊を神とあなたの霊的指導司祭に委ねたのなら、なぜ彼らに大して重要でないことを任せたことを疑うのですか。いかに虚栄心と不信の戦いが密かにあなたに臨んでいるかご覧なさい。もしこのように行うなら、あなたは自分の霊をも真に指導者に任せていなかったのです。彼らを通して憐れみを受け取ることをいかに望んでいるのですか。神のために全てのものから自由になろうと望むのなら、全ての慮りを棄てなさい。そうすれば私は、あなたが指名した人々と共に、あなたの慮りを自分に引き受けましょう。ただ神のために、あなたが煩いとは無縁の者となるように。愛のゆえに私をお赦し下さい。
質問三 同じ兄弟から同じ偉大なる長老へ。 我が父よ、どうやって自分の意志を棄て、「この通り、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。(同十九章二十七節)」と言えるようになるか、私に語って下さい。わたしは自分の糧(かて)のためにわずかな領地を残しました。なぜなら私は弱いからです。
偉大なる長老の回答 自分の意志を棄てることは血を流すようなものです。これに達するためには人は死ぬまで努力し、自分の意志を棄てなければなりません。「この通り、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。」とは完全を目指して言っている言葉です。ここで言わんとすることは単に領地やわずかな財産についてだけではなく、考えと願望についてなのです。あなたはまだこのような完全さに達していません。完全さに近づく時にはあなたが何をすべきかを聞くでしょう。今はあなたに一言だけ語りましょう。物質に関する慮りを全て捨てなさい。あなたの糧のために今はまだ領地を持っていなさい。願わくは主イイスス・ハリストスがあなたを言い尽くされぬ喜びに導いて下さいますように。なぜなら主は永遠の光であるからです。アミン。
質問四 同様の兄弟が同様の偉大なる長老にした質問。 私は淫欲と激しく戦っています。絶望に陥らないか、私の体の弱さのために節制することができないのではないか、と危惧しています。我が父よ、主のために私のことを祈って下さい。そして私がどうすべきかおっしゃって下さい。
回答 兄弟よ。悪魔は妬みからあなたに戦いを仕掛けてきたのです。自分の目を守り、満腹するまで食べないようにしなさい。酒はあなたが言っている体の弱さのために、少量だけ飲むようにしなさい。謙遜を身に付けなさい。これは敵の全ての網を破るものです。卑小なる私も、神があなたをあらゆる誘惑から救い、あらゆる悪から守って下さるように、神に祈りながら、私の力に応じてすることにしましょう。兄弟よ、敵に譲歩してはいけません。そして絶望に陥ってはいけません。なぜならこれは悪魔にとって大きな喜びだからです。絶えず祈りながら言いなさい。「主、イイスス・ハリストスよ、恥ずべき情欲から私を救って下さい」と。神はあなたを憐れんで下さるでしょう。そして諸聖人の祈りによって力を得るでしょう。アミン。
質問五 同様に淫欲と戦いながら、彼のための祈りを偉大なる長老に求めている同様の兄弟。彼は自分の淫欲によって人は誘惑されるのか、それとも悪魔によるのかをいかに見分けるか、長老に言ってもらいたいと願っている。
回答 兄弟よ、労苦と心からの嘆きなしには誰も欲望から逃げられないし、神を悦ばせることもできません。人が自分の淫欲から誘惑される時、人は自分に対して怠慢であり、自分の心に、以前に犯したことについて思い巡らすことを許していることから、知ることができます。そしてその時には人は自分自身で、自分の淫欲を通して自分に欲望を引き付けるのです。少しずつ欲望によって眩まされていく彼の知性は、自身でも気づかないまま、彼が惹かれる人に対して注意を向け、その人と話したり、少し対談したり座ったりする理由を見つけるようになり、あらゆる方法で自分の願いを成し遂げようと努めるのです。もしこのことを思い巡らすことを許すのなら、それが肉体によってではなく、神(しん)(霊れい)によってであっても、考えと同意して、倒れるまで戦いは増すでしょう。そしてこのような人は自分自身で自分の物質の中に火をつけていることになります。救われたいと望んでおり、警醒(けいせい)し、分別ある人は、何から害を受けているか見る時、熱心に自分を悪い思い出から守り、淫欲の思いに惹きつけられることなく、心が惹かれている人たちと会うことや対話すること、罪のきっかけになることから遠ざかります。それは自分で自分の中に火を投じないためです。これが自分の淫欲または人間の勝手から来る戦いです。悪魔からの戦いは次のように起こります。救われたいと望む者の心は敵の種を自分で受け取ることを恐れています。この場合、人は、欲望の思いに惹かれないように、悪い思い出から、また出会い、会話、逢引の理由となるあらゆるものから、警醒して自分を守っています。もしあなたが惹かれている彼に用事があるなら、あなたの霊(たましい)が滅びないように、用事をそのままにしておいた方が良いでしょう。兄弟よ、警醒しなさい。あなたは死にゆくもの、そう長くは生きない者なのです。わずかな時間の楽しみのために、永遠の命を失うことを願わないで下さい。罪の悪臭と不潔がどのような利益をもたらすというのですか。ただ恥、誹謗、誘惑だけではないですか。節制が勝利と栄冠と誉れをもたらすのです。自分の馬を視覚の手綱によって御しなさい。馬があちこち見て、女性や男性に対して欲情を燃やさないように、乗り手たるあなたを地に投げ落とさないように。主が「爾の目を転じて虚しきことを見ざらしめ(第百十八聖詠三十七節)」るように神に祈りなさい。こうして勇敢な心を持った時は、戦いもあなたから遠ざかるでしょう。ぶどう酒が傷を浄めるように、自分を清めなさい。あなたの中に悪臭や不潔が溜まることを許してはいけません。涕泣(ていきゅう)を身に付けなさい。交流に対する自由をあなたから遠ざけるためです。この自由はそれを身に付けた人の霊を滅ぼすのです。道具を手放してはなりません。それなしに肥沃(ひよく)な土地を耕すことができないからです。偉大なる神によって造られたこの道具とは謙遜です。謙遜は主の畑の毒麦を全て根絶し、畑に生息するものに恩寵を与えるのです。謙遜は倒れません。逆に謙遜を持っている人を堕落から立ち上がらせるのです。心を尽くして涕泣を愛しなさい。なぜなら涕泣とはこの善なる行いの協同者だからです。全てにおいて自分の意志を棄てるように努力しなさい。なぜならこれは人にとって捧げ物と見なされるからです。これは次のことを意味しています。「爾の為に我ら毎日殺され、人の我らを視ること、屠(ほふ)りに定められたる羊の如し。(第四十三聖詠二十三節)」対話によって自分を弱らせてはなりません。なぜなら対話によって神について進歩することはないからです。あなたの感覚器官、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚をたゆまず制御しなさい。そうすればハリストスの恩寵によって成功するでしょう。苦しみなしには誰も致命者になれません。このことを主も言っています。「忍耐によって、あなたたちの霊を救いなさい。(ルカ二十一章十九節)」使徒も言っています。「大いなる忍耐において、悲しみにおいて。(コリンフ(コリント)後六章四節)」などです。ご覧なさい、「あなたの家の宝物をカルデヤ〔バビロン〕人に見せてはなりません。(列王記下二十章十二~十八節)さもないと彼らはあなたを虜にしてバビロンの王ネブカドネツァルのもとへ連れて行くでしょう。(同二十四章十四節)」私の回答に常に諭されながら、欲望を踏みにじりなさい。欲望があなたを踏みにじり、強制的にあなたに悪をなさないように。欲望から走り去りなさい。ちょうどカモシカが捕網から走り去るように。(第六聖詠五節)欲望がちょうどあなたを小羊のように刺し殺さないように。欲望を恐れてはいけません。それには力がないのです。つまり我らの主イイスス・ハリストスはそれらを弱らせ、無力なものとしたのです。惰眠を貪ってはなりません。なぜなら欲望は半分死んだかのようですが、眠っているわけではないのです。怠慢な者となってはいけません。なぜなら彼らは怠慢ではないからです。あなたを汚れた臭い沼から引き出そうとするあなたの「父」に、少しだけでもあなたの手を差し出しなさい。「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたら(イアコフ(ヤコブ)五章十六節)」すということを思い出しなさい。誰をも裁いたり、卑しめたり、誘惑したりしてはなりません。人についてあなたが確実には知らないことのために、その人に罪を定めてはいけません。なぜならこれは霊の滅亡だからです。自分に注意し、死が近づいてくるのを待ちなさい。福たるアルセニイの言葉を自分に言いなさい。「アルセニイよ、あなたはなぜこの世から出て来たのか。」あなたがここで探しに来たことを学びなさい。イイススに到達することもできるように、イイススに向かって進みなさい。もし救われたいのなら、早く進みなさい。聖なる長老たちの善なる部隊にあなたも入れるように。もし成功したいのなら、努力しなさい。言い尽くせない光栄のうちに聖人と共に栄光を受けるように望みなさい。言いがたき苦しみのうちに恥を得た悪魔と共にいないようにしなさい。火のゲエンナではなく、天国にいることを願いなさい。次のことを聞くように願いなさい。「わたしの父に祝福された人たち、来なさい。(マトフェイ二十五章三十四節)」また「忠実な良い僕だ。(同二十三節)」などです。逆に次の言葉を聞かないようにしなさい。「呪われた者ども、わたしから離れ去れ(同四十一節)」「怠け者の悪い僕(しもべ)だ。(同二十六節)」主に光栄は世々に帰す。アミン。
質問六 同様の兄弟より同様の偉大なる長老へ。 わたしには多くの罪があり、痛悔したいのですが、肉体的な弱さから師父たちのように苦行できません。あなたにお願いします。いかに始めるか私におっしゃって下さい。何かを私に定めて前回の答えであなたが言ったこと「あなたの家の宝物をバビロン人に見せてはなりません。さもないと彼らはあなたを虜にしてバビロンへ連れて行く」とは何を意味しているか説明してください。
ワルソノーフィーの回答 兄弟よ。主が祝福している貧しい者たちがいます。なぜなら彼らは自分の全ての財産、つまり自分の欲望を棄てて、主の名のために欲望の衣を脱いだからです。このような者が実に貧しき者で、福楽は彼らのものです。また別の貧しき者もいます。彼らは主が「呪われた者ども、わたしから離れ去れ(マトフェイ二十五章四十一節)」と言って脅している、善を何も身に付けていない人たちです。これらの財産を持ち、そしてそれを重荷に感じる者は、それを棄てればいいのです。そうすれば思い煩いなく生きることでしょう。ゆえに、痛悔を始めたいのなら、淫欲な女が何をなしたか見てご覧なさい。彼女は自分の涙をもって主宰の足を洗ったのです。(ルカ七章三十八節)涕泣は全てのものを罪より洗います。しかし人は努力によって、聖書の多くの教え、忍耐、最後の審判及び永遠の恥についての考察によって、そして主が、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。(マトフェイ十六章二十四節)」と言っているように、自分を捨てることによって涕泣に達するのです。自分を捨て自分の十字架を背負うとはつまり、全てにおいて自分の意志を棄て、自分を何者でもないと思うことなのです。あなたは肉体が弱く何もできないと言っているのですから、自分の力に応じて行いなさい。通常より少し少ない量のパンと飲み物を取りなさい。なぜなら神はやもめの二レプタ〔銅貨二枚〕を受け、他の全てのこと以上にそれらを喜んだからです。他の人々と自由に交際しないことを学びなさい。そうすればあなたは救われるでしょう。以前の私の答えとこの最後のものを瞳(ひとみ)、のごとく守りなさい。「あなたの家の宝物をバビロン人に見せてはなりません」という私の言葉に関して言えば、これは悪霊のことを言っているのです。もしこの答えがあなたのために書かれた、とあなたが人々に言えば、あなたは宝物を悪霊に見せたことになるのです。悪霊はこれを見てあなたに対して苛立ち、あなたに虚栄心による戦いを起こすのです。一方で、一般の聴衆を誘惑することになります。そしてあなたはあれこれのために裁きを被るでしょう。わたしの言葉を聞き、守ることができる人には、喜びと利益が与えられるでしょう。どれほど善をなしても、それを全て隠すように努めなさい。なぜならこれはあなたのためになることだからです。願わくは主は諸聖人の祈祷によってあなたを諭して下さいますように。アミン。
質問七 同様の人から同様の偉大なる長老へ。 我が父よ、私のために祈って下さい。私は淫欲なる考えと憂鬱と恐れによって大変困惑しています。考えは、私が惹かれている兄弟を見る時、私の沈黙によって彼に軽蔑の機会を与えないように彼と対話しなさいと言います。同様に悪霊が私を圧迫するように感じ、恐怖に陥ってしまいます。
ワルソノーフィーの回答 兄弟よ、あなたはまだ敵との闘いを学んでいないのです。それであなたに恐怖の考え、憂い、淫欲の考えが来るのです。心を堅固にして悪霊に抵抗しなさい。なぜなら闘士は、もし苦行しなければ、栄冠をもらえないのです。同様に兵士も、もし戦いにおける自分の腕前を皇帝に見せなければ、敬意を与えられないのです。ダワィド(ダビド)がどのようだったか思い出しなさい。あなたは歌っていないのですか。「主よ、我を試み、我を験(ため)せ、我が腹と我が心とを融(と)かし給へ。(第二十五聖詠二節)」さらに「軍隊陣を列ねて我に敵すとも、我が心懼(おそ)れざらん、軍起りて我を攻むとも、我に尚恃(たのみ)あり。(第二十六聖詠三節)」同様に恐怖についてです。「若し我死の陰の谷を行くとも害を懼れざらん、蓋爾は我と偕(とも)にす、(第二十二聖詠四節)」憂いについてです。「主人の気持があなたに対してたかぶってもその場を離れるな。(コヘレトの言葉十章四節)」果たしてあなたは練達した者となりたくないのですか。誘惑によって試みられない人は練達していないのです。戦いは人を練達した者とします。修道士の仕事というのは戦いを耐え、勇敢な心でそれに敵対することにあるのです。しかしあなたは敵の狡猾(こうかつ)さを知らないから、敵はあなたに恐怖の考えを与え、あなたの心を弱らせるのです。あなたは、神があなたの力以上の戦いや誘惑をあなたに許さないということを知らなければなりません。このことを使徒もあなたに教えて言っています。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさりません。(コリンフ(コリント)前十章十三節)」兄弟よ。わたしも若い時、何度も激しく淫欲の悪霊に誘惑されました。そしてそのような考えに対抗し、対立し、同意しないで、逆に永遠の苦しみを想像し、苦行しながら努力しました。五年間私は毎日このように行いました。すると神はこの考えから私を楽にして下さいました。この戦いを空しくするのは涕泣を伴った絶え間ない祈りです。悪霊があなたを圧迫するというのは彼らの妬みから来ています。もしできることなら、悪霊はあなたの修室からあなたを追い出していたでしょう。しかし神は悪霊があなたを牛耳ることを、お許しにはなりませんでした。そうです、悪霊はこのことに対する権力がないのです。神はまもなくあなたを楽にさせて下さることもできたのですが、そうするとあなたは他の欲望と対抗することもやめてしまうでしょう。願わくは、あなたが魅了されている兄弟に注意を向けたり、彼と話すために、悪霊があなたを弱らせたりしないように。しかしもしあなたの願いに反して、あなたが思いもかけず彼と共に行くことになったら、恐れと礼儀をもって目を節制し、注意深く彼の声を聞いてはなりません。もし、その兄弟がその無知ゆえに自分からあなたと話を始めたり、あなたのそばに座ったりするのなら、うまく彼から離れなさい。とはいえ急にではなく礼儀正しく行いなさい。あなたの考えに言いなさい。神の恐るべき審判と、この恥ずべき諸欲に惹きつけられているものが、その時に襲われる恥を思い出しなさい。自分の考えを強いてご覧なさい。そうすれば諸聖人の祈祷によって助けを得るでしょう。そして神はあなたを憐れんで下さるでしょう。智において子供になってはなりません。逆に悪においては赤子になりなさい。(コリンフ(コリント)前十四章二十節)兄弟よ、智においては完全なものとなりなさい。いかにあなたが神と出会うか、自分に注意していなさい。アミン
質問八 同様の兄弟が次のように言って、同様の偉大なる長老に求めた。 我が父よ、私のために祈って下さい。なぜなら私は全てにおいて忌まわしく、偉大なる人間愛を必要としているからです。私の中で生じる考えは言います。「他の方向に行きなさい、そこで救われるでしょう」と。願わくは神はあなたの祈祷によって、私がこの考えに捕らわれることをお許しになりませんように。
回答 兄弟よ。あなたの心にこのような考えを蒔いて、戒めを破るためにこの場所から出て行くようにした者は、呪われるように。これは悪魔です。悪魔は義を装ってこのことをあなたに勧めているのです。それはあなたをしばらく罵(ののし)って、あなたを多くの人々の誘惑の対象とし、あなたがその考えのためにも、裁きを被るためです。さらにあなたは自分の怠慢と虚栄心のゆえに、このことに陥るのです。あなたは言っています。「もし他の方向に行けば、そこで恥を被るだろう」と。それではなぜ今、あなたの兄弟があなたに何かを言った、ということを聞いただけで、あなたの心は困惑するのですか。そしてなぜあなたは誰かがあなたの罪を知ることを望まないのですか。あなたの霊(たましい)を滅ぼすために、悪魔も怠慢と虚栄心に自分の罠を加えているのです。もしも神の助けがなく、ここにいる神の真実の僕(しもべ)たちの祈祷がなければ、あなたは一年も修道院にいることはできない、ということを主において確信しなさい。しかし、ちょうど目の不自由な人が何も見えないように、あなたも神があなたに与えていて、与え続けている恩恵を見ないのです。これは聖人たちや、あなたや兄弟たちに次のように言った、福たるアヴラアミイの祈りによるものです。彼は言いました。「もしあなたがこの場所に留まるなら、私を転達者として持つでしょう」と。兄弟よ。入念に自分に気を配りなさい。考えに対抗して苦行しなさい。怠慢と虚栄心に陥らないため、何も自分の意志で行わないため、あなたの中に起こっている考えや自己正当化を受け入れないためです。そうしない場合、あなたはとことん堕落してしまうでしょう。あなたがどこに行っても、たとえ端から端まで全地をくまなく歩いても、この場所以上にあなたが益を受ける場所はないということを確信しなさい。船に錨(いかり)が必要なように、あなたにはここにいる師父たちの祈りが必要なのです。堅固さを身に付けなさい。そうすればこの堅固さがあなたから、人間のあらゆる悪の原因たる、隣人との自由な交際を遠ざけるでしょう。全て外部の配慮を捨ておきなさい。そうすれば自由に神に奉事することでしょう。全ての人にとって死人となりなさい。巡礼とはこのことなのです。自分を何者とも思わないようにしなさい、そうすればあなたの思いが乱されることはないでしょう。自分が何か善いことをしたと思わないようにしなさい。そうすれば、あなたの報いは完全に保たれるでしょう。これらのこと以上に次のことを覚えておきなさい。あなたは肉体に長く留まるわけではないのです。かの時にあなたが勇みをもって「我爾の誡(いまし)めを守ること速(すみやか)にして遅からざりき。(第百十八聖詠六十節)」と言えるように努めなさい。兄弟よ。労苦なしに生きてはいけません。修行なしには誰も栄冠をもらえないでしょう。自分を強いて自分の救いのために修行しなさい。そうすれば神があなたを助けるでしょう。「神は、全ての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。(ティモフェイ(テモテ)前二章四節)」我が子よ、願わくは神はあなたを憐れみ、あなたが熱心に神に喜ばれる業を始めるように。 蓋(けだし)憐みと力と光栄は世々に神のものなり。アミン。
質問九 同様の兄弟から同様の偉大なる長老へ。 我が父よ。私は一年も修道院にいられなかっただろうと、あなたがおっしゃったことは何を意味しているのですか。そして主のために私のことをお祈り下さい。というのは睡眠時に悪魔が私に襲ってきて、私を圧迫するので、私にはあなたの人間愛が必要なのです。
回答 もし師父たちの祈りがなければ、あなたは一年も修道院にいられない、というのは修道のことを意味して、私はあなたに言ったのです。なぜなら修道院に住んでいる人たち全てが修道士というわけではなく、修道の業(わざ)を行っている人が修道士だからです。主は言っています。「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。(マトフェイ(マタイ)七章二十一節)」兄弟よ。なぜあなたは不幸のうちにありながら、敵があなたを愚弄することを許すのですか。あなたは質問しますが、あなたに言われたことを実行しようとしていません。再び質問して見栄を張って、おべっかから他の人にこのことを教えます。そして自分で自分に対し、速やかに成功することを妨げ、それゆえ睡眠の中で誘惑に遭い、悪魔があなたに襲いかかり、あなたを圧迫するのです。神がこのことをあなたに許すのは、あなたが悟って、修道士に相応しく自分を非難するためです。一方あなたはと言えば、兄弟よ、このことを理解していません。時間が私たちに与えられているのは、私たちの欲望を試み、涕泣し、号泣するためです。もしもあなたが修室にいて、思いによって散漫になるのなら、全てのことにつけ自分を責め、神の前であなたの弱さを吐露しなさい。神はあなたを助け、あなたが神において成功するように、あなたを強めて下さるでしょう。アミン。
質問十 同様の兄弟から他の長老へ。祈りについて嘆願している。 主のために私が恥ずべき情欲と虚栄心から逃れることができるように祈って下さい。なぜならそれらは、私が良いことをしていると思っている全てのことにつけ、私を汚すからです。同様にお願いですから私におっしゃって下さい。どのような意図を持って、聖人たちの記憶を行うべきですか。そしていかに自分から内的な悪を追い出すべきでしょうか。
イオアンの回答 もし恥ずべき欲望から免れたいのなら、誰とも自由に交際しないようにしなさい。特に淫欲の欲望からあなたの心が傾いている人と交際しないようにしなさい。このことを通して虚栄心から自由になるでしょう。なぜなら虚栄心にはおべっかが混合し、おべっかには自由な交際が混合するからです。一方自由な交際は全ての欲望の母です。虚栄心なしに聖人の記憶を行う者は、これを行うのは神の命令であり、自分勝手にやっているのではないと思って、聖人に与る者となり、聖人たちの「主宰」から賞を受けます。霊の救いについての配慮と神への愛は、全ての人が自分の内的な悪を放り出し、清らかに悔い改めるのを助けます。我が子よ、私に聞きなさい。そして見えるものによって見えないものについても理解しなさい。体調があまり良くない時は、あなたに害のある物から節制しなさい。あなたの霊(たましい)が病んでいる時に、なぜ節制しようとしないのですか。私たちは大変苦労して汗を流さなければならないのです。使徒は言っています。「むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。(コリンフ(コリント)前九章二十七節)」と。あなたの力に応じて行ってご覧なさい。あなたの師父たちの祈りによって、神はあなたを助けて下さるでしょう。次のように言って自分自身にかけて誓った方は、私たちの救いを見ることを渇望しているのです。「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。(イエゼキイリ(エゼキエル)書三十三章十一節)」私たち全てのために、真実の神の僕(しもべ)たちが神に祈りを捧げている場所からは、偉大なる力が昇っています。私は主が彼らを辱めることはないと信じています。彼らの祈りに自分の二レプタを加えなさい。そうすればあなたは、聖書のやもめのように主を喜ばせるでしょう。荷を積んだ自分の船をあなたの師父たちの船に縛り付けなさい。彼らは、謙遜と力、理性と栄冠と楽しみをあなたに与える力があるイイススのもとへ、あなたを導くことでしょう。アミン。
質問十一 同様の兄弟から偉大なる長老へ。 私は若く分別がありません。私の務めは私の力を超えています。それで、我が父よ、お願いします。神が私に理性を与えて下さるように祈って下さい。それは私が必要に応じて物資を分け与えることができるため、時宜に適って言葉を述べ、時宜に適って沈黙することができるため、疑念が起こった時に神とあなたの祈りを呼び求めて、助けを得、私が迷いに陥らないためです。
ワルソノーフィーの回答 神への畏れに導かれて誰かが何かを求める時、私はとても嬉しく思います。願わくはこのような人は、彼の願いは叶うと大胆に希望するように。しかし、兄弟よ、聞きなさい。もしあなたが自分の畑のための種を求めるのなら、まず種が蒔かれる畑に肥料を与えなさい。なぜなら良く、耕かされた畑については「百倍の実りを結んだ。(ルカ八章八節)」と言われているからです。私は神の戒めのためにできることを、力に応じてやりましょう。しかし私は、私の不当さのために、あなたが求めているものを与えることができない自分の弱さを自覚しています。とはいえ、もしあなたが信じているのなら、あなたの信仰に応じて、これだけでなく、必要なもの全てを受け取るでしょう。「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。(マトフェイ(マタイ)六章八節)」それゆえ疑ってはなりません。私は、私のためではなく、あなたの信仰のゆえに、あなたの願いに応じて神は行われると信じています。何よりもまず神の前で遜りなさい。なぜなら「神は、謙遜な者には恵みをお与えになる。(ペトル(ペトロ)前五章五節)」からです。我らが主イイスス・ハリストスにおいて。彼に光栄は世々に帰す、アミン。
質問十二 同様の兄弟が他の長老に質問した。 この長老の回答の力がどのように自分自身に作用するのですか、と。
回答 もしあなたがこの長老の回答の力がどのように自分自身に作用するのかを学びたいのならば、次のように行動しなければなりません。誰かと話したい時、何かをしたい時、長老の名を呼びなさい。そうすれば神はあなたがどうするべきか、何を言うべきかをあなたの心に吹き込んで下さるでしょう。しかしこれを行う時には謙遜をもってしなさい。この恩寵を失うことがないように。
質問十三 同様の兄弟から偉大なる長老へ。 我が父よ。あなたは、弱き私に憐れみを下さり、助言を与えて下さいました。何かをしたり言ったりする際は、神の御名とあなたの祈りを呼び求めなさい、と。そしてこのことを通して成功するでしょう、と言われました。それで私は神の御名に従って行ったり、言ったりするように自分を強いているのですが、時として神の御名やあなたの祈りを呼び求めることを、私の怠慢さのゆえに忘れてしまうことがあります。それであなたにお願いします。私に警醒心(けいせいしん)が与えられるように神に求めて下さい。そして私が自分の意志によって迷ってしまわないようにして下さい。それからお願いですから私におっしゃって下さい。何かの行いの時、神の御名やあなたの祈りを呼び求めても、そのことをするかしないか相変わらずいぶかっているような場合、私はどのように行動すべきでしょうか。同様にもし何かについて私が質問されたら、神を呼び求める前に、もしくは何を言うか考えている前に、質問した人はすぐさま回答を要求します。このような急な質問の際に私はどのように行動したらいいでしょうか。私が自分の目をコントロールできるようにお祈り下さい。というのは目はあちこちを見て気晴らしするからです。
回答 もしも誰かが師父から何かについての戒めや助言や回答をもらい、失念や怠慢から忘れてしまったとしたら、彼は罪を犯したと知りなさい。そして悔い改めなさい。そうすれば神は彼を赦して下さいます。兄弟よ。なぜあなたはただ警醒心のことばかり書いているのですか。私は神があなたにあらゆる善なる賜物を与えて下さるように、そしてその賜物があなたに永遠にあるようにと神に祈っているのです。もしもあなたが何かをしなければならない時は、神と聖人たちの祈りを呼び求めなさい。しかしそれでも相変わらずいぶかっているのですから、このことを行い実行しなさい。それは神の御旨と一致しています。というのは、あなたはことの初めに神を呼び求めたからです。急な質問にいかに答えるべきか、については、智より早いものはないのです。智を神に上げなさい。神は困惑なしに何を答えるか、あなたに与えて下さるでしょう。謙遜は目を気晴らしから、そして人間そのものをあらゆる悪から守ります。私はあなたにさらに大きな賜物(そのことについてはあなたに書きました)を求めているのですが、それはあなたがあなたの力に応じて行動する、という条件のもとです。自分に気を付けなさい。そうすれば聖人だけでなく、神ご自身があなたに助け手を与えて下さり、あなたに憐れみを示して下さるでしょう。
質問十四 同様の兄弟が同様の偉大なる長老に頼んだこと。 至って憐れみ深き我が父よ。あなたは私の盲目なる霊(たましい)をご覧になっています。それで再びあなたにお願いします。私が正しい考えと、密かなる害ある考えとを見分けることができるように、私の心が照らされるように、請い求めて下さい。なぜなら害ある考えを時として信じてしまうことを恐れているからです。何度も起こったことですが、私が物を与えた時、欲望によってではなく、このことをしていると思うのです。しかし、自分の考えを省みると、私が兄弟にこの物を与えた、ということを兄弟が知らないように、もし他の人を通して兄弟にこの物を与えたら、私の考えにとって、これは心地よくないことだと思う自分がいたのです。同様に起こることですが、私は欲望によってではなく、何かを行ったり言ったりするつもりが、同時に物を上げたり、話したりすると、私の考えはこれを楽しむのです。それでは、呪われた私は何をすべきでしょうか。この行い、つまり正確に言うと、私の栄誉を好む心は、他の方法でも私を辱めるのです。ある人が私に何かについて話した時、彼らが自分の話を終える前に、私の考えが彼らの話と同意して、それを理解するものとして共に楽しむことがあります。我が父よ、あなたにお願いします。沈黙の力を私のために請い求めて下さい。なぜなら、自分で分かっているのですが、いかに無益で人からあらゆる善を奪うことに楽しんでいるかに、私は驚いているからです。
ワルソノーフィーの回答 心の病なしに誰も決して考えを見分ける賜物を得ることはありません。私は神があなたにその賜物を与えて下さるように祈っています。しかしあなたの心も少し苦しむように。そうすれば神はあなたにこの賜物を与えて下さるでしょう。このことと同様に他のことも悟りなさい。神が、諸聖人の祈りとあなたの心の病のためにあなたにこの賜物を与える時、その時はすでに常に聖神によって考えを見分ける状態にあるでしょう。自分の意見をひけらかす機会があると見た時には、黙りなさい。ちょうど神における真実の私の息子〔預言者イオアン〕からすでに聞いているように、あなたはあなたのあらゆる考えについて、彼に聞かなければなりません。なぜなら彼があなたのことを言うのは自分からではなく、神が彼に一人一人の利益のために与えられることを話すからです。願わくは神があなたを守り、あらゆる機会において思慮深く沈黙する力と恩寵を与えて下さるように。それは、いつ欲望とは無縁に話さなければならないか、あなたに知ってもらうためです。というのは、あなたの心はまだ、多弁が人を汚すということを完全に知らないからです。そうでなければ、心は多弁によって楽しむことをあなたに許さないでしょう。
質問十五 同様の兄弟から同様の偉大なる長老へ。 我罪人に対するあなたの偉大なる憐れみによって、私は再びあえてあなたを煩わせています。我が父よ、私を教え諭して下さい。判断力の賜物を得るために私の心はいかに努力すればいいでしょうか。我が主人よ、もし私がこの教えに相応しいと思われたら、私に神を絶え間なく記憶することについても書き、私にこのことを確信させて下さい。なぜなら私はこのことを保つだけの力がないと、私の考えは恐れているからです。ですからご主人様、お願いします。実際にこのことは私にとって有益かおっしゃって下さい。あなたの口から言葉が発せられる時、その言葉は私の心に力を与えてくれると私は信じています。
ワルソノーフィーの回答 あなたの心の働きとは常に神に祈ることにあるべきです。願わくは神があなたが迷ったり自分固有の願望に追従したりするのをお許しにならないように。このことを通してあなたは判断力を得るでしょう。絶え間ない記憶について、つまり教えについては恐れないで始めなさい。神はあなたを強め、確信させて下さるでしょう。しかしこれは、もし弱らなければ、収穫を刈り取る(ガラティヤ(ガラテヤ)六章七節)という望みをもって(コリンフ(コリント)前九章十節)です。あなたが基(もとい)を建てることを祝福される神は崇めほめらる。神はあなたに力を与え、あなたの分に応じて守って下さるでしょう。
質問十六 同様の者から同様の者へ。 わずかな日々の間に小さな心の暖かさを感じるようになる前に私に何度も起こったことですが、その後、この暖かさは再び去ってしまいました。今一時間の間熱心に神についての記憶を保っていますが、他の時間は〔記憶を保つよう〕自分を強いています。そしてこの小さな暖かさが以前のように数日間だけ続いて、その後私を捨て去り、私の霊(たましい)は完全に滅んでしまうのではないかという思いが私を不安にします。ですから、我が善なる父よ、あなたにお願いします。私を棄てないで下さい。私からこの記憶と暖かさを遠ざけるものは何か説明して下さい。私が感覚を守れるように請い願って下さい。なぜなら私は何度も感覚によって虜(とりこ)になり、特に私の心が罪への言い訳を探している時にそうなるからです。しかし自分自身で、私の願いではなく、私の心は情欲や無思慮の思い出、または時宜に適わない考えを流出させるのです。ですから主において強い我が父よ、あなたに頼みます。あなたの僕(しもべ)である私に謹慎(きんしん)を与えて下さい。それは私が、私の心に入ってくるものを見分けるためです。そして心があなたの祝福から私を遠ざけないように、どう行動すべきかおっしゃって下さい。またこのことも私に説明してください。もし何かをしたり言ったりして、神の助けにより罪から守られれば、罪から免れられた後、神に感謝すべきでしょうか。このことは神の愛へと導くでしょうか。それとも罪から免れたという思いをまったく受け入れずに、行いと言葉で犯した自分の罪を覚えていて、それらの赦しを求めるべきでしょうか。
ワルソノーフィーの回答 心の痛みによって暖かさと祈りを獲得するように努めなさい。そうすれば神はあなたがそれを常に持てるようにして下さるでしょう。神を忘れることはこれらを追い出します。神を忘れることはそれ自体、怠慢から生まれます。感覚を守ることについて言えば、全ての賜物は心の痛みを通して得られるのです。謹慎の賜物は考えが入り込むのを許しません。そしてもし考えが入ってくるのなら、それらが悪をなすことを許しません。願わくは神はあなたに謹慎と覚醒を与えて下さいますように。次のように戒められている通りです。「どんなことにも感謝しなさい。(フェサロニカ(テサロニケ)前五章十八節)」あなたが私に説明しているのですからなおさらです。罪を体験し、赦しを請うのは極めて有益だ、と。
質問十七 同様の者が同様の偉大なる長老に求めたこと。 我が聖なる父よ、あなたにお願いします。私のために神に力を請うて下さい。なぜなら私が自分に戒めたことは一人でいるので実行しないし、兄弟たちと会う時は、私は慣れてしまはないかと恐れています。そして、罪を犯しながらただ後悔するだけで、改めず、逆に罪のうちにいて、しかるべく死ねないのではないかと恐れています。私は欲望の悲しみが有益なのは知っています。この悲しみはもしかすると、私の霊の残酷さを打ち砕くかもしれません。そして愚かな私はそれから来る静けさを望むことができません。しかし我が父よ、あなたの執(と)りなしによって次のこともお願いします。すなわちしばしば悲しみに負けないように、もしこれが私のためになるのなら、このことについて心で悲しまないように、ということを。
回答 誰も、誰に対しても、私はあなたのことを慮っていますから、あなたは心配しないで下さい、と言うことはできません。なぜなら罪人であるからです。しかし支えられている人もいくらか自分自身で努力しなければなりません。自分の師父の戒めを注意深く守りながら自分の力で仕事を行わなければなりません。もしも一回倒れたのなら、再び自分を律するように努めるべきです。このような人には意図せずに繰り返した堕落が習慣にならない、怠慢にならない、と私は神を信じています。逆に神はまもなく彼を熱心な人たちの状態に導くでしょう。そして彼を高いレベル、「成熟した人間(エフェス(エフェソ)四章十三節)」に導くまで彼の霊を取り上げないでしょう。ゆえに、力を落とさないで、時があるうちに行い、遜(へりくだ)り、従順に服従しなさい。そうすれば神はあなたを助けるでしょう。神は謙遜の者に恵みを与えられ、高慢な者を敵とされるのです。(ペトル(ペトロ)前五章五節)絶えず言いなさい。「イイスス、我を助け給え。」そうすれば助けて下さるでしょう。我が子よ、願わくは神はあなたの霊を恥ずべき欲望から免れさせて下さいますように。
質問十八 同様の者から同様の偉大なる長老へ。 憐れみ深き我が父、及び最も弱りたる我が霊(たましい)の医者たるあなたにご挨拶申し上げます。ああ。あなたは私に何を見せ、何に私を引き付けたことでしょう。あたかも自分の悪い習慣に結びつけられてしまったかのような私はどこにいるのでしょう。たとえ少し解放されたとしても、また元に戻ってしまいます。なぜならさまざまな物を与え、また受け取るからです。もし私が神の仁慈とあなたの憐れみとを覚えていないのなら(なぜならいかに困難な状態から神が私をあなたの足下に導かれたかを知っているので)、私は絶望に陥っていたことでしょう。あなたの祈りが私を守っている時、私は平安のうちにいます。私自身の意志があらわになるように、少し捨て置かれた時、すぐに打ち負かされます。朝から修室で独居していますが、必要に迫られた時、修室から出て行かなければなりません。そして用事が済んだ時には、もう修室に戻る力がありません。しかし敵は私を捕らえるまで、私なしでも果たすことができる仕事に関して私に口実に口実を重ねるのです。このようにして私は修室にすでに遅くなってから帰ります。大変不愉快な気持ちで、眩(くら)まされて憂鬱になって、自分が何をするかわからないまま帰るのです。それゆえ、我が聖なる父よ、このように私は全てのことを見通すあなたの心の前にいます。あなたが望んで、知っているがごとく、あなたの憐れみに従って私に行って下さい。とはいえ、私はあなたに何を言うべきかを知りません。しかし神のために私を赦して下さい。
回答 兄弟よ、あなたが私に書いたことについては、あなたは絶望する必要はありません。舵取りは彼の船が波に呑まれた時、自分の救いを諦めないで、船を波止場に着けるまで、舵を取ります。同様にあなたも心を奪われたり、ことに気が散ったりするのを見たら、初心に戻りなさい。預言者と共に言いなさい。「我謂(い)へり、我今始めりと。(第七十六聖詠十一節)」という風に。あなたが遭遇することを吟味しなさい。それらは兄弟によって果たされ得るのか、それともあなたによってか。そして道から外れないようにしなさい。神のための慮りとは、霊の救いのために果たされ遂行される、霊的な行いです。ただ、自分の力に応じて、些細なことのために修室から出ないように努めなさい。なぜならこれは悪魔の狡猾さから来るものだからです。自分に理性的に注意深くありなさい。そうすれば神は諸聖人の祈りによって、あなたを助けて下さるでしょう。アミン。
質問十九 同様の兄弟が同様の偉大なる長老に、長老が彼の罪を負って下さるように頼んだこと。
回答 兄弟よ。あなたは私の力を超えたことを私に頼んでいますが、力以上のことにも私を仕向ける愛の大きさを、あなたに示しましょう。あなたを信じているので、私は自分にあなたの重荷を引き受け、背負いましょう。しかし同時にあなたも自分でその重荷を負わなければなりません。私の言葉と戒めを守ることです。なぜならそれらは救いに導くものだからです。そうすればあなたは恥を受けることなく暮らしていくことでしょう。
質問二十 同様の兄弟から同様の偉大なる長老へ。長老が兄弟に与えた戒めについて、そして兄弟がその戒めを守れる状態にあるようにということについての嘆願。
回答 兄弟よ、私たちの師父たちを強めた方は、願わくは、あなたの愛をも強めて下さるように。そしてあなたが全ての自分の行いにおいて理性的に行動できるように、主があなたに霊的な理性を与えて下さるように。あなたの舌を無駄口から、腹を淫欲から守り、隣人を苛立たせてはいけません。不遜にならず、自分を何者とも思わず、全ての人に対して愛を守り、自分の霊智に常に神を保ち、次の言葉を覚えていなさい。「我何(いずれ)の時にか至りて神の顔(かんばせ)の前に出でん。(第四十一聖詠三節)」このことを守りなさい。そうすればあなたの地は神に百倍もの実を結ばせることでしょう。この神に光栄は世々に帰す。アミン。
質問二十一 同様の兄弟から同様の偉大なる長老へ。 我が父よ、自分を何者だとも思わないとは何を意味しているのですか。
回答 兄弟よ。自分を何者だとも思わないということが意味しているのは、自分を誰とも比較せずに、自分の善行について話さないことです。私もこのように行いました。
質問二十二 同様の兄弟が同様の長老に求めている。長老が彼に与えた戒めを彼が破ってしまったことについて、痛悔における助けについて、彼がいかに悔い改めるべきか。またもし戒めを犯してしまったら、このことを通して約束は消滅してしまうのかどうか、について。
回答 神の御名によってあなたが求めていたことが、あなたの願いに応じて果たされるように。全てを失うことがないように、高慢にならないように用心しなさい。戒めを破ったら、痛悔に走りつきなさい。たとえ自分の傷のための包帯を持っていても、以前よりも悪いことがあなたに起こらないように、怠慢に身を任せないようにしなさい。あなたが私に摑(つか)まっている間は、私の約束はあなたと共に破られずにあるでしょう。もし離れてしまったとしても、ハリストスについてあなたが聞いたことを実行し、神があなたを憐れんで下さいますように。アミン。
質問二十三 同様の兄弟が同様の偉大なる長老に、来世においても長老の庇護を失うことがないように、祈りを頼んでいる。
回答 我が子よ。もしあなたが私があなたに話したことを悟ったのなら、私がすでにあなたに、あなたの霊(たましい)の救いの担保を与えたことをあなたは知っていたでしょう。私はあなたを欺きたくないし、私の救われるべき真実の子供たちと神の庇護からあなたを排除したくありません。逆にあなた自身がこの生活から抜け出ないように努めなさい。使徒は誰をも排除しないで、言いました。「信者でない相手が離れていくなら、去るにまかせなさい。(コリンフ(コリント)前七章十五節)」。しかしこのことがあなたに起こりませんように。私がこのことをあなたに言及したのはただ、あなたが自分に注意をし、この期待と希望から落ちることがないようにあなたを固めるためです。主において大いに進歩しなさい。主は、高い所からの力をご自分のお弟子たちが受けると彼らに言われました。(ルカ二十四章四十九節)
質問二十四 同様の兄弟が他の長老にした質問。 もしも誰かが自分を全ての被造物より下だと見なしても、彼の行動がこれに従わない時、このことについていかに思ったらいいでしょうか。
回答 もし行動が認識と一致しないのなら、それは真実ではなく、悪魔の侮辱です。
質問二十五 我が父よ。私は自分が全ての被造物に劣ると思うほどまでには至っていません。しかし自分の良心を試みてみると、全ての被造物より劣ると思うに値する自分を発見するのです。果たしてこれも悪魔からの侮辱でしょうか。
回答 兄弟よ。やっと今になってあなたは正しい道に踏み出しました。これこそ正真正銘の真理です。願わくは神があなたを、自分を全ての被造物より劣ると思うレベルまで導いて下さいますように。主において健やかでいなさい。
質問二十六 同様の兄弟から同様の長老へ。 我が主宰よ、どのような道によってより速やかに救いに達することができるでしょうか。労働によってでしょうか。それとも謙遜によってでしょうか。どのように神を忘れることから免れるのでしょうか。
回答 兄弟よ。謙遜なしには真の労働はあり得ません。なぜなら労働自体が空しく、何でもないこととなるからです。聖書では次のように語られています。「我が困苦(くるしみ)、我が労瘁(つかれ)を顧み、我が諸々(もろもろ)の罪を赦し給へ。(第二十四聖詠十八節)」それゆえに謙遜を労働と一致させる者はまもなく目的を達成するのです。自己卑下と共に謙遜を有している人も同様に目的を達成するのです。なぜなら自己卑下は労働の代わりになるからです。一方でただ謙遜だけを有している人は、たとえ成功しても、それほど速くはありません。真の謙遜を得ようと望んでいる人は、決して、どんな場合も、自分を何者かであるように見なすべきではありません。ここに真の謙遜があるのです。「主が地上に投じに来た火を受け取る(ルカ十二章四十九節)」者は、主を忘れることも、虜になることも知らないのです。なぜなら常にこの火を感じているからです。感覚的な火を例に取りなさい。もしすでに死にかかっている人間に火が近づいたら、その人はすぐさま痛みを感じるでしょう。人がどのようなことをしていても、もし彼に熱い炭火が落ちてきたら、彼は少なからず自分の惹かれていることに留まることは、もうすでにできないでしょう。兄弟よ。火は決して消えません。そうでなければそれは火ではないでしょう。もしあなたが神を忘れることや虜となることから免れたいのなら、自分のうちに霊的な火を獲得する以外に、この目的に到達することはできないでしょう。なぜなら火の暖かさによってのみ、神の忘却と虜は消えるからです。この火は神への希求によって獲得されます。兄弟よ。もしあなたの心が昼と夜と痛みをもって主を探し求めないのなら、あなたは成功できないでしょう。もし全ての物を棄てて、このことに従事するなら、それに到達するでしょう。なぜなら聖書に書いてあるからです。「全てのことを棄て置きなさい、そうすれば理解するでしょう」という風に。願わくは、主があなたにこのことを悟らせて、修行させて下さいますように。
質問二十七 同様の兄弟から同様の長老へ。 我が父よ、謙遜とは何ですか。卑下とは何ですか。心の嘆きとは何ですか。心の中で自分自身を卑下する者は謙遜を得るのでしょうか。それともこのためには、さらに人々からの外的な誹謗や恨みを耐え、最も卑しい仕事に従事しなければなりませんか。同様に謙遜なる人は自分の謙遜を言葉で示さなければなりませんか。もしくは行いにおいて謙遜であるように努めるべきでしょうか。
回答 謙遜とはどのような時も自分を何者だと見なさず、全てにおいて自分の意志を棄て、全ての人に服従し、困惑することなしに、外部から私たちに襲いかかってくるものに耐えることです。これは真の謙遜で、この中には虚栄心の場所がありません。謙遜なる人は自分の謙遜を言葉で示すように努めるべきではなく、「私をお赦し下さい」または「私のためにお祈り下さい」と言うので十分です。同様に自分で自分が卑しい仕事に従事するように申し出る必要はありません。なぜならそれもこれも虚栄心に導き、進歩するのを妨げ、利益よりもさらに多くの害を与えるからです。しかし何かを命令された時は反論しないで、従順に遂行しなければなりません。これが成功に導くのです。卑下には二種類あります。一つは心の卑下、もう一つは外部から受け取る誹謗から来る卑下です。外部から受け取る卑下は心の卑下以上のものです。なぜなら他人からの卑下を耐え忍ぶより、自分自身を卑下する方が簡単だからです。というのも他人からの卑下は心により大きな病を生じさせるからです。心の嘆きとは、心を守り、ためにならない考えに惹かれることを許さないようにすることです。
質問二十八 同様の兄弟から同様の長老へ。 もし褒められたら、あたかも謙遜をもってしても、彼は答えるべきではないのでしょうか。
回答 沈黙する方がはるかにためになります。なぜならもし答えたら、これはつまりその人が称賛を受け止めたことを意味するからです。一方、これはすでに虚栄心です。謙遜をもって答えたと思った時ですらすでに虚栄心なのです。なぜならもし自分について言っているのと同じ言葉を他人から聞いたら、その言葉に耐えられないでしょうから。
質問二十九 同様の兄弟から同様の長老へ。 しかし称賛した人が、彼の沈黙から称賛を受け止めたと見なして、このことに誘惑されることがあります。どのように行動したら良いでしょうか。
回答 修行する者は未知のことを神に任せなければなりません。願わくは神ご自身が聞いた者に知らせて下さいますように。もしかしたら称賛した人は彼の沈黙から利益を受けたかもしれません。というのは、彼は称賛を受けないと思ったからです。または彼は躓(つまず)いたと思うかもしれません。私たちにはわからないのです。もし誘惑された人自身がこのことを暴露するのなら、その時は謙遜をもって次のように彼に説明しなければなりません。「兄弟よ、私を赦して下さい。私は自分の中には何も良いものがないと自認しています。ですからあなたに答えることが何もないのです。でも主のために私のために祈って下さい」と。
質問三十 同様の兄弟から同様の長老へ。 他の人が実際に罪深いことがあります。そして虚栄心からではなく、謙遜をもって真実を語ることがあります。その時も彼は答えるべきではないでしょうか。
イオアンの回答 たとえそうだったとしても答えるべきではありません。なぜならもし彼が一時的に謙遜になっても、聞いている人は彼を謙遜な者と思い、これが彼の重荷になるからです。なぜなら主はおっしゃっているからです。「全ての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。(ルカ六章二十六節)」これは行いがないのに称賛を受け止める罪人のことです。
質問三十一 同様の兄弟から同様の長老へ。 ある聖人たちが、褒められた時に謙遜をもって答えたことを私たちはいかに見なしたらよいでしょうか。
回答 主がおっしゃった、「自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。』と言いなさい。(同十七章十節)」というレベルにまで達した師父たちは、本当に自分をそのようなものだ、と見なしていたので、自分についてどのように思っているか答えているのです。もしも他の人からも同様のことを聞いても、憤ったりせず、真実を言った者として、彼を祝福するのです。
質問三十二 同様の兄弟から同様の長老へ。 もし誰かが他の人の恩恵に与りながら、自分の恩人として彼に感謝したら、果たしてこのような場合答えるべきではないでしょうか。
回答 沈黙はいつでもよいことです。しかし恩恵を施す人が、彼に向けられた感謝を拒むことを示さないために、彼は謙遜をもって次のように言わなければなりません。「師父よ、私をお赦し下さい。主のために私のことをお祈り下さい」と。その時自分の心の中で彼自身何もしなかったという思いを持ちなさい。なぜなら主は全ての人に恩恵を施すからです。この際、自分の言葉のために裁きを被らないように神に祈らなければなりません。
質問三十三 同様の兄弟から同様の長老へ。 我が父よ、どうか私が自分の舌から、自由な交際から、腹を満たすことから免れるように、私のために祈って下さい。
回答 舌と自由な交際と腹を満たすことに関しては、あなたが私に祈りを求めたように、自分でも力に応じて節制するように努めなさい。なぜならこれらは心の痛みなしに、謹慎(きんしん)と涕泣(ていきゅう)なしに抑えることはできないからです。「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。(イアコフ(ヤコブ)五章十六節)」ということを思い出しなさい。全ての欲望に打ち勝つのは謙遜です。そしてこの謙遜は各人が努力でもって獲得するものなのです。兄弟よ。願わくは、神はあなたに判断力と神への恐れを一致させた力を与えて下さいますように。
質問三十四 同様の兄弟から同様の長老へ。 もしあなたがおっしゃるようにこのことが涕泣(ていきゅう)をもって獲得されるのであれば、私が人々の中にいて、他人に仕え、病人のうちの誰に何を与えるか、ということを慮っている時に、どのように涕泣を守ることができるでしょうか。涙がない心の涕泣というものはありますか。
イオアンの回答 涙から涕泣が生じるのではなく、涕泣から涙が生じるのです。もし人が他人の中にいながら、自分の意志を棄て、他人の罪に注意を向けない時、涕泣を獲得するのです。なぜならこのことを通して、彼の考えは集中してきて、このようにして心の中に神についての涕泣が生まれ(コリンフ(コリント)前七章十節)、この悲哀が涙を生じさせるからです。
質問三十五 同様の兄弟から同様の長老へ。 私は自分の考えを師父に説明していますが、何人かはこのことを悲しんでいると感じています。私はいかに行動したらいいでしょうか。修室にいて私は害を受けないでしょうか。というのは、考えはあたかも従順ではなく自分の意志のように私に示唆して、私を愚弄するのです。その後、もし私の意志が、あなたの庇護のもとで、欲望に基づくものでなければ、いかにしてこのこと全てを害なく成し遂げることができるでしょうか。というのも私は弱く、まだ私の欲望に対する憎しみを持っていないからです。それゆえあなたにお願いします。もしもあなたも同様にお考えでしたら、病院の外でこれ以上兄弟たちと師父との仲介役とならない、ということも私にとって有益だと思うのですが。このことによって妬みを引き起こさないように、そして自分自身の気持ちもぐらつかないように。我が父よ、私の霊(たましい)はあなたの御手(みて)の中にあります。おっしゃって下さい。私がいかに行動するように命じられますか。
回答 もしも、欲望や虚栄心からではなく、清らかな心から、ただ為になることのためにだけ話すのなら、人々の言葉に注意を向けてはいけません。聖人たちの祈りの助けのもと、全てのことが害なく成功裏に終わるまで修行しなさい。私が言ったように、欲望からではなく、仲介役となるのはいいことです。なぜなら、師父と直接話すのは全ての人にとって可能なわけではなく、全ての人にとってためになるわけではないからです。あなたが神について語る時、自分から話し、善を行うのではなく、全てにおいて神が働かれるように。神の善は妬みを生みません。もしも妬みがある短い期間起こっても、すぐに消えてしまいます。私たち全ての人の霊(たましい)は神の御手にあります。神は私たちを守り有益なことに向けて私たちを強めて下さるのです。
質問三十六 同様の兄弟から同様の長老へ。 もし私がある人々のために何かを有益なことと見なした場合、このことを聞かれなくても、話すべきでしょうか。そしてもしこのことに関わる兄弟が私より年上だったり、聖職者だったりした場合、彼のことを師父に話さなければなりませんか、それとも沈黙を守り通した方がいいですか。私に質問されたら、何と答えればいいですか。もしも自分自身に対しても話すのが有益だったら、偽善的にならないように、つまり謙遜を装った言葉を避け、権威をもって教えるかのように話さないように、私はいかに話したらいいでしょう。
回答 師父たちは次のように言っています。神のために話すのも、神のために黙するのも良し、と。彼らの言葉が意味するところは次の通りです。私が言ったように、欲望からではなく話すのはいいことです。なぜならこのように話す人は神のために話しているからです。一方で、欲望から何かを話したいと望んでいるのを見る時、もしも沈黙しているのなら、その行いは良いことです。なぜなら彼は神のために黙しているからです。もしも神に適うように話そうと望んでいて、何について話すかについて慮っていないのなら、あなたは戒めを守らないでしょう。そうではなく、このことを神にお任せしなさい。そうすれば神は有益なことのために何を言うべきかをあなたの口に置くでしょう。神は強く、弱き私たちに力の帯をする(サムイル(サムエル) 記上二章四節)のです。兄弟よ、願わくは神があなたを強めて下さいますように。
質問三十七 同様の兄弟から同様の長老へ。 師父の前で自分の意志を棄てるのは何においてでしょう。善なることにおいてでしょうか。平凡なことにおいてでしょうか*1、それとも神の戒めに反すると感じられることについてでしょうか。もし師父の戒めが私の力以上だった場合、後に悲しみや困惑に陥らないように、それを拒むべきでしょうか。そしてさらにもし誰かのために何かを師父に頼む必要があり、師父が彼がこのことを行うのを私が助けるように言い、そして私が同意する時、このことがあたかも私が何者かであるかのように、私の名誉欲に糧を与えることにならないでしょうか。
回答 兄弟よ。修道者になりたい者は、決して何においても自分の意志を持ってはなりません。ハリストスは私たちにこのことを教えて言いました。「わたしが世に来たのは、わたしの意志を行うためではない。(イオアン(ヨハネ)六章三十八節)」云々と。なぜならあることは実行して、他のことは拒むことを望んでいる人は、彼が、彼に戒めを与えた人よりさらに判断力を持っているか、もしくは悪魔によって侮辱されているかを露呈しているからです。それゆえ、たとえあなたにとって、ことは罪がないだろうと思われても、あなたは全てにおいて従順になりなさい。あなたにそれを命じた師父はあなたの罪をも負うのです。なぜなら彼からあなたに対する答えは要求されるからです。もしも定められたことがあなたにとって負担に思われるのなら、そのことを師父に相談して、彼の判断に任せなさい。もしも兄弟があなたに同様のことを定め、一方であなたはそれが害あるもの、もしくはあなたの力以上のものだと見て、知ったのならば、再び師父に質問しなさい。そして彼が言ったことを行いなさい。もしことだけでなく人をも判別するのなら、自分に悲しみを招くことになります。(しかしことが善であると見て取った場所では、そこで兄弟に従順を示しなさい。一方で、疑念の思いがあり、もしくはそれがあなたの力以上であったり、害を伴ったりする場合、)このことを全てあなたの師父に言いなさい。そして、彼が判断したように行動しなさい。そうすれば平静を得るでしょう。なぜなら師父は何をなすか、あなたの霊について何を慮るか知っているからです。師父があなたに語ることは全て、神の御旨に沿って言い、有益で、悲しみも困惑ももたらさないのです。(善なるものからは何も悪を生じさせないからです。)「全て良い木は良い実を結びます。(マトフェイ(マタイ)七章十七節)」もしも誰かが必要な時に、あなたが彼を助けるように師父にお願いするのならば、師父があなたに与えた戒めを通して、これを行いなさい。なぜならもし彼があなたを戸口に座らせて「誰が来ても、私に全てのことを言いなさい」と言ったら、あなたは命令を与えた人の命令を果たしているのであって、自らこれをするのではないからです。もし師父が、あなたが彼に言うべきか言わないべきかを命じるのであれば、これはすでにあなたの問題ではないのです。
質問三十八 同様の兄弟から同様の長老へ。 兄弟が私に、私が知らないある言葉や行いについて尋ねた時、彼に答えるべきでしょうか、答えるべきではないでしょうか。同様に私に質問してはいないが、何かをやるのは良くないと私自身が見て取った時、一度だけでも、ことを悪く行っている人にこのことを言うべきでしょうか、言うべきではないでしょうか。
回答 この全ての質問に対する答えは一つです。虚栄心から言わないように気を付けなさい。そうではなく、謙遜と神への恐れをもって言うように。もし必要なら、〔あなたが質問した〕全ての場合に言い、注告しなさい。しかし他の場所ではなく、ただ自分の修道院内だけで。なぜなら一つの共同体の中に住んでいる人々は、あたかも一つの体であるからです。他の場所にいる時は自分から何も言ってはなりません。教師のように思われるといけないからです。しかしもし質問されたら、謙遜をもって言いなさい。そうすれば、兄弟よ、神があなたを教え諭すでしょう。
質問三十九 同様の兄弟から同様の長老へ。 あなたは私に言いました。私に質問されたり、自分自身で何かを見たりした時は、私は謙遜をもって言わなければならない、と。しかし、もし私の心が虚栄心に酔っていると言ったり、その時は酔っていないけれど、その後で虚栄心に酔うと知ったりしている時は、私は黙していた方が良いでしょうか。
回答 何かを謙遜をもって言うのは教師ぶって言うことを意味しているのではありません。あなた自身が師父や聖師父たちから聞いているのと同様です。もし兄弟に何かを言うのがためになるのに、虚栄心があなたにこれに酔うように示唆するのなら、次のことを知りなさい。つまり敵は、あなたが兄弟の益になることをするのを妨げたいのだということを。もし虚栄心に従うのなら、兄弟は決してあなたから利益を受けないでしょう。そうではなく虚栄心を退け、それを軽視しなさい。一方兄弟に必要なことを言う時は「主よ、私は見栄を張って言いました。私をお赦し下さい」と言って、神の前で悔い改めなさい。その時は酔っていないけれど、その後で虚栄心に酔うとわかっている場合も、同様に行いなさい。
質問四十 同様の兄弟から。我が父よ。 どうしたら次のことは矛盾しないでしょうか。あなたは私に命じました。何か為にならないことを見たら、私に質問される前に言わなければならない、と。一方で聖師父たちは質問の前に会話を始めるべきではない、と言っています。そして師父ニステロイは共同体にいながら「私とロバは同様なものだ」と言ったからこそ、他の人々を驚かせたのではないですか。我が父よ、自分の考えに注意するとは何を意味しているか、私にも同様に言って下さい。一定の時間このことに従事するべきですか、そしてこれをどのように行うべきですか。
イオアンの回答 兄弟よ。長老たちは人間の霊的な成長の度合いに応じて答えているのです。人には奉仕をすることができる時があります。その時、彼は他の人々に奉仕をしなければなりません。しかし彼に他の人々が奉仕をする時が来ます。その時、彼の霊的成長年齢は以前のものとはすでに異なります。完全な人には完全なことが言われるのです。律法のもとにいる人たちには他のことが教えられるのです。なぜなら彼らはまだ世話焼きの手の中で経験中だからです。あなたが師父ニステロイのように世に対して死んだ者となれば、その時は「私はロバです」と言うことができるのです。思い上がってはなりません。なぜならこのことによってあなたは自分に害を受けるからです。師父たちは、自分の考えに注意を向ける時を定めて言いました。「朝、あなたが夜をどのように過ごしたか、自分を試みなさい。そして夜も昼間どのように過ごしたか同様に試みなさい。」そして日中も、考えで煩わされた時は、自分をしっかりと見つめなさい。
注解 このことを通して捧神なる聖師父は、全ての人ではなく、ただ謙遜で自分を卑しめる人が「私はロバだ」と言うことができる、ということを示しています。なぜならこう言うのは恥辱ではなく、逆に偉大なる名誉だからです。それで師父は「思い上がるな」とも言っているのです。なぜならロバのレベルまで達成した人は、ロバのように痛手を受けても、誹謗を耐え忍び、重荷を負わされ、引いて行かれ、縛られても、普通ロバが耐えるのと同様のこれらのこと全てを耐え忍びながら、反論せず、悪を思い出さず、心の中で決して困惑せず、ロバのようにこれら全てを忍耐するのです。そして全てこれらの際に、感覚がない人のように留まるのです。これはすでに二倍の望み、三倍の欲望の死を意味します。その時もしかすると人はあえて「私はロバです」と言うことができるのです。しかしその際も多くの恥じらいをもって、このような成功の高さを熟考しながら言うのです。しかし思うに、その時でさえ人はこの言葉を言えないでしょう。逆にこのような状態にはほど遠いと見て取り、さらにあえて「私はロバです」と言うことすらしないのです。そしてさらにあざ笑ったり、このことを考えたりすることすらありません。これが高慢であることを知っているからです。高慢の中に、霊の堕落と実に完全なる滅びとがあるのです。
質問四十一 同様の兄弟から同様の長老へ。 もし私より位が上の長老のうちの誰かが何かについて私に質問したら、私は為になると見なすことを言わなければならないでしょうか。
イオアンの回答 これを言うのはあなたに関わることではありません。なぜなら実際にそれが為になることかどうか神の御心をあなたは知らないからです。しかしもしも長老の誰かがあなたに質問したら謙遜をもって、「お赦し下さい」そして「私は知りません」と彼に言いなさい。
質問四十二 同様の兄弟から同様の長老へ。 兄弟が何か良くも悪くもないことをしているが、私の意志と合致しない時、私はこのことを悲しみます。いかに振る舞うべきでしょうか。黙っているべきでしょうか、自分の心を安心させるべきではないでしょうか。もしくは優しく言って、そうすることによって困惑から逃れるべきでしょうか。もしこれが、私にとってではなく、他の人々にとって悲しみの原因となるのなら、他の人々のために言うべきでしょうか、それともこれは他人のことに無為に介入することになるでしょうか。
イオアンの回答 もしもことが罪のない、良くも悪くもなく、あなたがただ自分の心を安心させるために言いたいのならば、この中にあなたの敗北が顕(あらわ)れています。つまりあなたは自分の弱さのために忍耐することができないのです。自分を責めて黙りなさい。一方で兄弟が他の人々にとって悲しみの原因となるのであれば、自分の師父に言いなさい。彼自身がその兄弟に言うか、あなたが彼に何を言うか、あなたに教え諭すでしょう。そしてあなたは平静を得るでしょう。
質問四十三 同様の兄弟から。 もし私が他の人々のために師父に話し、これによって兄弟が困惑するのに気付いたら、私はいかに行動したら良いでしょうか。同様に兄弟が他の人々や私を傷つけている時、私は他の人々のために言うべきでしょうか、それとも沈黙しているべきでしょうか。なぜならこれは私にとっても心配の種となるからです。もしも兄弟がこのことを悲嘆しないと知っているのなら、自分のためにも言うべきでしょうか。それとも自らを強いて沈黙しているべきでしょうか。
イオアンの回答 もしあなたが師父に話し、兄弟がこれを困惑するのなら、それはあなたには関係のないことです。他の人々のために話さなければならず、そしてこれがあなたを心配させる時は、彼らのために話しなさい。自分のためには話さないように。
質問四十四 同様の兄弟から。 しかし考えが私に次のように言います。もしも兄弟が私に対して困惑したら、彼は私が師父の前で彼を中傷したと思って、私にとって敵となるのではないか、と。
イオアンの回答 これは兄弟の更生を禁じる悪い考えです。我慢しないで、欲望に応じてではなく、ただ神のために師父に言いなさい。なぜなら医者から治療を受けている病人たちは医者に不満をこぼしますが、医者はのちに病人たちが彼らに感謝をすることを知ってこれらを軽視するからです。
質問四十五 同様の兄弟から。 考えが兄弟のためではなく、中傷するために言うように私にそそのかす時、私は言うべきでしょうか、沈黙するべきでしょうか。
イアオンの回答 欲望に応じてではなく、神のために言うようにあなたの考えに教示しなさい。兄弟を中傷したいという願望に打ち負かされたら、師父に言って、自分の中傷を師父に告白しなさい。それはあなた方二人が癒しを受けるためです。兄弟は罪からの癒し。あなたは中傷からの癒し。
質問四十六 兄弟を中傷する意図で私が言っていると師父に痛悔しようとしますが、考えがそれを許しません。その場合私は何をしたらいいでしょう。言うべきでしょうか。言うべきではないしょうか。
回答 何も言ってはなりません。主がこのことを慮っていられるのです。あなたは霊(たましい)の害と共に言ってはなりません。主は主が望まれるように兄弟を更生されます。
質問四十七 思うに、私は然るべく何かを行っているのに、他の人が私の仕事を修正します。一方私は彼に見栄を張って答えます。このような場合私はいかに行動したらいいでしょうか。
イオアンの回答 もしあなたが答える必要はないのなら、黙っていなさい。もし兄弟のことがあなたに疑念を引き起こすのなら、虚栄心を持ったことで自分を責め、兄弟を癒しなさい。
質問四十八 もし何か良くも悪くもないことを私が行い、兄弟がそれは私がやっていると知って、このことに躓(つまず)き、そして虚栄心が私にこれを隠すように強いるのを見たら(なぜなら、もし兄弟がこれを見たら、私は恥ずかしいからです)、誘惑を避けるために私はそれを隠すべきでしょうか。それとも虚栄心を避けるために隠すべきではないでしょうか。同様に、兄弟が躓いているかどうか、おそらく私は知らないのですが、ただそのことを懸念している時、私はいかに行動するべきですか。
イオアンの回答 あなたが兄弟に誘惑を与えるといって、心があなたを裁くのでしたら、このことを隠し、兄弟にこのような考えの誘因を与えてはいけません。おそらくあなたは知らないが、ただ疑っているのなら、このことを慮ってはいけません。
質問四十九 同様の兄弟より。 もしも誰かに辛辣な言葉を言ってしまい、一方で彼はそれを理解しないのなら、彼の前で私は悔い改めるべきでしょうか。それとも黙って、彼にそのことについての思いを与えるべきではないでしょうか。
イオアンの回答 もし兄弟があなたが彼に皮肉を言ったことを理解していないのなら、黙って、彼を困惑させないようにしなさい。しかしこのことにおいては悔い改めるように努力しなさい。
質問五十 もし誰かが兄弟が罪を犯しているのを見て、このことを師父に言ったら、言われている兄弟は彼について言っている人に対してどのような心持ちを抱けばいいでしょう。
イオアンの回答 もし罪を犯した人が忠実な人で、神の御心に沿って生きているのなら、たとえ誰かが敵意から彼のことを師父に言ったとしても、彼は次のように思うべきです。兄弟がこのことを言ったのは、私に利益を与えたいからだ、と。このようにして聖書の言葉が彼の中に実現するのです。「善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出す、(マトフェイ(マタイ)十二章三十五節)」このことを思って、彼は憎むのではなく、むしろその兄弟を愛さねばなりません。常にそのように行動する人は、神において成功していくでしょう。
質問五十一 私が感じているところによれば、私が誰かの前でお辞儀をする時、自分の虚栄心から少し顔を赤くします。私は他の人々の前でお辞儀をしようと努めるべきでしょうか。それとも普通にしているべきでしょうか。
イオアンの回答 あなたは他の人々の前で、または特に二人きりでいる時にお辞儀しようという意図をもって策を巡らす必要はありません。普通にしていなさい。
質問五十二 私は年少の人たちにもお辞儀をするべきでしょうか。もしくは、他方で私に虚栄心が忍び込まないように言葉でもって彼らを癒すべきでしょうか。
イオアンの回答 時として偉大な尊敬されている人々も卑小な、最も最後の者とならなければなりません。そして見栄を張ってではなく、負債を払わなければなりません。なぜなら借りたお金は返さなければならないからです。そのようにあなたも誰か年少の人のためにすべきことがあるのなら、あなたは彼の負債者だと知って、虚栄心抜きで彼にお辞儀をしなさい。
質問五十三 同様の兄弟より。 もし私の心に恐ろしい考えが入ってきたら、私は何をもってそれを撃退するべきでしょうか。その考えに対抗することによってでしょうか。それとも禁止の言葉を吐いて、あたかもその考えに対して怒っているかのようにするべきでしょうか。それとも神に走りついて神の前で自分の弱さを打ち明けることによってでしょうか。
イオアンの回答 兄弟よ。そのような欲望は悲しみと同じ意味を持っています。主はそれらを区別しないで、逆に次のように言ったのです。「憂(うれひ)いの日に我を呼べ、我爾を援けん、爾乃(すなわち)我を讃栄せん。(第四十九聖詠十五節)」ですから、あらゆる欲望に関して神の名を呼び求めること以上に為になることは何もないのです。考えに対抗するのは全ての人にできるのではなく、悪魔も従う、神において強い人たちにだけできるのです。もし強くない人の誰かが対抗すると、悪魔は彼らを嘲ります。悪魔の支配にありながら、悪魔に対抗するからです。同様に悪魔に禁止するのも悪魔の上に権威を持つ偉大なる人の業です。権威があるからといって悪魔に禁止した大天使ミハイル(ミカエル)のように、聖人のうちの多くの人が悪魔に禁止したでしょうか。私たちのような弱い人間にはただイイススの名に走りつくことだけが残されているのです。なぜなら欲望というのは悪魔の本質で、イイススの名を呼び求めることによって去っていくからです。あなたはこれ以上に何を望んでいるのですか。願わくは神がご自分への恐れのうちにあなたを強め、あなたに勝利を与えて下さいますように。
質問五十四 同様の兄弟の嘆願。 我が父よ、あなたにお願いします。聖なる長老も私に言葉を下さったように、私のために祈っているという言葉を私に下さい。そして私が何かによって打ち負かされる時、考えが私に言うのです。神が私に欲望を制御する力を与えて下さらないのは、お前の中に傲慢があるからだとか、欲望を制御して、虚栄心に陥らないためだとか、もしも簡単にこの力を得るのなら、簡単にその力を失ってしまうだろうとか、この力を得たいと望みつつ、お前がしばしば神に走りつくためだとか、他の何かの原因によってだとか、と。それともこれは私の衰弱のために起こるのでしょうか。そして私はいかに行動したらいいでしょうか。
イオアンの回答 もし私たちみなが一つであるのならば、あえて言いますが、長老は神のうちにおり、私は長老と共にいるのです。もし長老があなたに言葉を与えたのならば、私も長老を通して言葉を与えます。私は弱く、最後の者だと知っていますが、長老から遠ざかることはできません。なぜなら彼の慈しみによって私たち二人は一つとなっているからです。それゆえ、兄弟よ、自分に気を配りなさい。かの戒めを守るために努力するように努めなさい。もしも何かによって打ち負かされることがあっても、力を落として、がっかりせず、逆に再び立ち上がりなさい。そうすれば神はあなたを助けるでしょう。あなたが打ち負かされ、欲望を克服しないことは、あなたが言及した一番目の原因から来ています。しかし衰弱からこのことに陥ることもあります。あれこれのことから解放されるためには涕泣をもって主の慈しみの前でひれ伏さなければなりません。願わくは諸聖人の祈祷により、神があなたをこれそれの欲望から解放して下さいますように、アミン。
質問五十五 同様の兄弟から同様の長老へ。 偉大なる長老が戒めたことにおける助けを請うている。
回答 兄弟よ。長老はあなたに宛てた自分の回答の中で全てを解決したのです。そしてそれを通して全ての人の口をつぐんだのです。あなたに言われたのにあなたはまだ何を望んでいるというのですか。私の言葉を守りなさい。そうすれば私とあなたの約束は確固として続くことでしょう。あなたの力に応じて長老との約束を守るように努めなさい。なぜならこの中に天国の遺産と甘美たる楽園があるからです。「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された。(コリンフ(コリント)前二章九節)」のです。あなたは自分の努力と尽力を加えなければなりません。一方で庇護、仁慈、力を与えることは神によるのです。彼に光栄は世々に帰す、アミン。
質問五十六 どうしたらいいでしょう。私は不名誉の恥を恐れています。そしてもしある人々と話し始めると、大変それに心惹かれて虜になるので、まったく自分を忘れてしまいます。気が付いた時には相手を残して立ち去るのが恥ずかしいのです。
イオアンの回答 弱い者は全てこれらのことや名誉欲に陥らないように、万全を尽くして多言を避け、会話をやめなければなりません。師父の名でもって謝って、あたかも師父が彼に何かをするように命じるがゆえに、急がなければならないかのようにするのです。一方、恥辱を耐えないというのは不信の業です。兄弟よ、イイススは人となり、恥辱を耐えました。あなたはイイススよりも偉大なのですか。これはサタナの不信と欺(あざむ)きです。謙遜を望むと言っていながら、恥辱を耐えない者は謙遜にたどり着かないのです。ご覧なさい、あなたは言われていることを聞きました。このことを軽んじてはいけません。なぜなら行い自体もあなたを軽んずるからです。会話が為になり、より必要なことへの妨げとならない時は会話が終わるまでそこにいなさい。もしこの会話が為にならないのなら、言いなさい。「お赦し下さい、私は弱いのです」と。恥についてはこう言います。主の前で罪人を待ち受ける全人類に公開される恥について考察すれば、あなたは一時的な恥を何とも思わないでしょう。
質問五十七 同様の兄弟より。 ある人々、在俗信徒、もしくは師父たちが修道院に来た時、考えは私に、霊(たましい)の益について、または行いについて彼らに質問しろ、と示唆します。あなたはこのことをどのようにお考えになりますか。
イオアンの回答 兄弟よ。真にハリストスの弟子でありたいと望む者は、どのようなことであれ自分自身に対する権限を持ちません。自分自身で何かを行わないためです。たとえ来訪者との対話から益を得ると思っても、「全てを助言と共に行いなさい」という戒めを破ることになります。あなたは師父が言っていること以上にまだ何を聞きたいのですか。もしもある来訪者が神の御言葉について対話しているのなら、謙遜をもってあなたの師父に尋ねなさい。「師父よ、あなたは私が待って聞くことを望んでいらっしゃいますか。それとも私は行った方がいいでしょうか」と。そして師父が言うことを、静かに行いなさい。もし必要があって誰か、修道士または在俗信徒に質問したいのなら、師父に言いなさい。そして彼が必要と見なせば、彼はあなたが知りたいと望んでいることを自分の方から質問するでしょう。もしもあなたに「あなたが質問しなさい」と言った時には質問しなさい。
質問五十八 もしも私が質問したくないのに、来訪者の誰かと会うことになったり、誰かが向こうから私に何かを質問したりする時、その時はどのように行動するように命じられますか。
イオアンの回答 誰かと会う際には挨拶だけに留めるようにしなさい。そして言いなさい。「私のことをお祈り下さい。私は用事があるので行きます」と。そして去りなさい。一方で彼らがあなたに何かを質問し、あなたが知っているのなら言いなさい。そして先に行きなさい。知らない時は言いなさい。「知りません」と。そして先に行きなさい。
質問五十九 もしも誰かが私が座っているか、何かをしている時に私を見つけ、私の脇に座り、私と話そうとしたら、私はどうするべきでしょうか。
イオアンの回答 もしも誰かがあなたがどこかに座っているのを見つけ、あなたのもとに近づいたら、彼から祝福を受け、以前と同様のことを行い、彼に言いなさい。「私のことをお祈り下さい」と。そしてたとえあなたが逃げないように彼が両手であなたを押さえても、彼に言いなさい。「私をお赦し下さい。私には師父の意志がなければ誰とも話さないようにという戒めが与えられています。でも師父に話してみます。そして師父が命じたことを行います」と。もしあなたが何かやっているその時に誰かがあなたに近づいてきて、座ったら、あなたに与えられた戒めによって何か口実を見つけて立ち上がりなさい。
質問六十 同様の兄弟より。 師父イサイヤが次のように言っていることは何を意味しているのでしょうか。 「巡礼者に挨拶したら、彼がどのように暮らしているか聞き、そしてその後、黙って彼と共に座りなさい。」
回答 あなたは私に次のように書いてきました。師父イサイヤは巡礼者を受け入れ、その後挨拶して彼がどのように暮らしているか問い、その後黙って彼と共に座るように戒めた、と。しかしこれら全てのことは年を重ね、霊的に高いレベルにまで達した長老に言えることです。真の弟子で修道士になりたいと望んでいる者は自分をこのような対話から守らなければなりません。なぜならこのような対話から、怠慢、衰弱、不従順、そしてあらゆる厭わしいものが生まれるのです。聖師父語録の他の箇所には次のように書かれています。「イオアンはこのことに従事していない」と。これはつまり、自分からあらゆる人間関係の慮りを遠ざけることです。
質問六十一 考えは私に言います。一度で会うのをやめなさい、そうすればあなたは彼に心を惹かれないですむでしょう、と。そして考えはまた言います。「あなたを見る人が驚かないように、少しずつやめていきなさい」と。これらのうちどちらが良いか、私におっしゃって下さい。
イオアンの回答 一度きりで永遠に会うのをやめてしまうか、もしくはあなたを見た人が驚かないように少しずつにするか、ということについて言いましょう。もし会うのをすぐに一度でやめたら、平穏でしょうが、そうでない場合は新しい会話やさまざまな考えに対するきっかけを与えることになります。会話へのきっかけというのは、彼は以前私と話していたから私も彼と話そう、と彼らはこれからも言うかもしれないからです。考えのきっかけというのは、他の人はこのように考えるからです。確かにこの兄弟は何か私に反することを持っている。なぜなら以前は私と共に話していたのに、今は話さない、と。ここまで到達するように願いなさい。そうすれば神はあなたを助けるでしょう。
質問六十二 同様の兄弟から。 時としてある病人たちが修道院に来て、病院から何かを求めます。そして私は師父から彼らに必要なものを分け与えるように指示されているので、何かを通して私は彼らと話さなければならなくなります。そして思います。自分の願いでこれをやっているのではないか、と。我が父よ、このことを説明してください。そしてこのことに際して私が平穏でいられるように私のために祈って下さい。
イオアンの回答 やって来る病人たちと、病院から何かをもらう必要がある人々に関しては、次のように言います。もしあなたが全ての人に同じように分け与えるのなら、あなたはこのことを心配する必要はありません。なぜならそのようにするようにと、あなたは命令されているからです。しかしこの場合、何かの仕事や買い物についての質問をする必要がある時を除いて、誰かと会話を始めないように、また必要に迫られた面会を長引かせないように、極めて注意を払わなければなりません。この際、最小限の質問だけに制限しなさい。それはあなたの悪い意志が自分に対する糧を見つけないためです。このことを守りなさい、そうすれば平安を得るでしょう。
質問六十三 考えが私に言います。沈黙は全てのものより必要で、それは私の為になる、と。考えがこのように私に示唆するのは理に適っているでしょうか。
イアオンの回答 沈黙は何からなっているでしょう。物を他人や自分に与えたり、彼らから受け取ったりすること、またおべっかや他の同様な行いから、自分の心を守ることではありませんか。主は、盗賊の手に陥った人の例えを通して律法学者を暴露した時、彼に質問しました。「誰が彼の隣人だったか」と。律法学者は答えました。「その人に憐れみを施した人です。(ルカ十章三十七節)」と。また主は聖書の中で言われました。「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない(マトフェイ(マタイ)十二章七節)」と。もしあなたが憐れみはいけにえよりも偉大だということを信じるのなら、あなたの心を憐れみの方に傾けなさい。沈黙は、人が自分自身を獲得する前、つまり純潔になる前に、人が高慢になるきっかけを与えます。人がすでに十字架を背負って行った時、その時初めて真の沈黙の場があるのです。それゆえ、もし隣人に同情するのなら、助けを得るでしょう。もし自分のレベル以上のものを目指して、同情から自分を抑えるのなら、その時は今あるものも失うということを知りなさい。このように内にも外にも留まらないようにしなさい。そうではなく中庸を守りなさい。「主の御心が何であるかを悟りなさい。なぜなら日は悪いからです。(エフェス五章十七、十六節)」
質問六十四 同様の兄弟より。 我が父よ、次のことが何を意味しているのか説明して下さい。「内にも外にも留まらないようにしなさい。そうではなく中庸を守りなさい。」何日かを沈黙すると決めて、何日かを外面的な慮りのために割くという必要はないのでしょうか。
イオアンの回答 私の言葉が意味しているのは次のようなことです。あえて沈黙せず、慮りの中にある時にも自分について怠惰にならない、これが中庸の道、堕落することのない安全な道なのです。沈黙の際は謙遜を持つ必要があります。そして物事を慮る際は自分に対して警醒(けいせい)し、自分の考えを抑制する必要があります。全てこれらのことはある特定の時間、ましてや日に限ったことではありません。必要に迫られて全ての人に降りかかることを、感謝をもって忍耐しなければなりません。そして修道院にいる全ての人たちに同情しなければなりません。なぜならこのことを通して、使徒の戒めを実行するからです。つまり、もし悲しんでいる人がいたら、彼と共に悲しみ、彼を教え諭し、彼を慰めなさい。(ロマ(ローマ)十二章十五節、フェサロニカ(テサロニケ)前五章十一、十四節)これも同情なのです。病人に同情し、彼らを治療して助けるのは善いことです。もしも病人に配慮している医者が賞を受けるのであれば、自分の力に応じて全てにおいて隣人に同情する人はなおさらではありませんか。なぜなら全てにおいて病人に同情しない人は、たとえ一部分だけ同情していても、ただ自分の意志を実行することになるからです。
質問六十五 同様の兄弟より。 あなたは私に中庸を守りなさいと命じました。しかし私は仕事から解放され、少し自分の修室にいるのに都合のよい時間を見つけると、いつものように私が好きな修道士たちや在俗信徒がやって来るのを大変心配してしまうのです。もし彼らのもとに行くと私は悲しみます。もし行きたくないとなると、私は自分の修室にいなければなりません。これが病院で必要なことを実行する妨げになります。病院で私と共にいる兄弟のうちの一人に、私が出て行かない場合は、彼が行って、必要なことを慮ってくれと私が言うように命じて下さいますか。もしくは私はまったく離れた方がいいでしょうか。これは私が人間的に思うことです。しかしもし私の考えの中に自己正当化が隠れているのなら、私のではなく、神の意志が行われますように。なぜなら自分の意志は堅持(けんじ)できず、逆にその終わりは滅びだからです。
イアオンの回答 人は遜(へりくだ)れば遜るほど、さらに成功します。修室に留まっても、あなたは経験を積まないでしょう。なぜならあなたは悲しみなく修室の中に留まっているからです。時期尚早に全ての慮りを棄てたことを通して、敵はあなたに平穏ではなくさらなる混乱を準備します。それで最終的にあなたに言わせるのです。「私は生まれない方が良かった」と。人々からの心配事については、師父は次のように言いました。「人は死ぬ直前にあっても、それでもまだこの世の友好関係に注意を払う」と。彼らに何も上げないようにしなさい。そして彼らから何も受け取らないようにしなさい。このようにすれば彼らはあなたを放っておくでしょう。そして病院での兄弟の奉仕についてですが、あなたの代わりに言いましょう。もしあなたが何かをするのならば、自分をも助けることになります。もしも他人を通してするのならば、その人はあなたが自分の労働と祈りのためにもらうより多くのものをもらうでしょう。前回の私の答えで、私はあなたに同情について言いました。もし使徒を信じるのならば、同情においても修行しなさい。使徒は次のように言っています。「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。(コリンフ後十一章二十九節)」「自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。(エウレイ(ヘブライ)十三章三節)」
質問六十六 我が父よ。もし誰かが物をくれるように求めていたとして、私が最初から疑ってかかった時、それでも愛想よく物を支給すべきでしょうか。というのも私が強いて物を与える時、私の霊は残酷になり、不満が生じるからです。
イオアンの回答 もし、物を求めている人が必要に迫られて求めているのなら、神の賜物から支給するように、喜びをもって彼に与えなさい。ここに愛想のよさがあります。もし彼が必要もなく求めているのを知っているのなら、彼には上げないで、言いなさい。私は、必要がない人には何も与えてはならないと師父から戒めを与えられています、と。これは残酷にはならないでしょう。願わくは主があなたを教え諭して下さるように。
質問六十七 聖大ワシリイの修行についての本を読んで、次のような箇所を見つけました。何かを持っている人が、主の戒めに基づいて他の人にそれを与えたなら、他人に恩を施す以上に自分に恩を施すのである、と。この戒めを私はいかに実践したらいいでしょう。
回答 その章は、独居して住んでおり、理性をもって自分を制御することができる人に向けられたものです。修道院に住んでいる人は師父に服従しています。それで彼にはこの戒めは及ばないのです。なぜなら彼は何においても自分の意志で行う権利がないからです。
質問六十八 聖ワシリイの修行についての本で、私は次のような箇所を見つけました。何か現在のものに執着する人、またはたとえ短い時間でも彼を神の戒めから遠ざける人のうちの誰かと交際する人は、主の弟子となれない、と。しかし私の親戚はいくらか私に借りがあります。それで私はこの金額を貧しい人々に分け与えたいのです。一方でもしかすると親戚は私にそれを返したくないのかもしれません。このような場合私はいかに行動したらいいでしょうか。
イオアンの回答 もしもあなたが肉の思いを絶たず、神のためにいくらかでも不屈にならなければ、あなたはおべっかにも陥ることでしょう。願わくは神があなたに全てのことにおいて神の御心を実行する力を与えて下さいますように。アミン。
質問六十九 同様の兄弟より。 「黙っていないように」とは師父の言葉に依れば何を意味しているのでしょう。これはどのようにして行いで実践できるのでしょう。
イオアンの回答 これは自分の考えについて黙っていないように、ということだと思います。なぜなら自分の考えを隠す人は癒されないままで、ただ頻繁にこれについて霊的師父に質問することによって修正されるからです。自分で理解していることを、私の兄弟であるあなたに話しました。もしもあなたがよりよくこのことを理解するのなら、願わくは主はあなたに神から降ってくる(コヘレトの書二章二十六節、イオフ(ヨブ)記十二章十三、十六節、第三イオアン(ヨハネ)五章二十節)理解(ティモフェイ(テモテ)後二章七節)を与えて下さいますように。同様に、神の最悪なる僕(しもべ)たる私にも。
質問七十 我が父よ、あなたが言われた「注意深い者には眠りは少しも害を与えない」とは何を意味しているのですか。
イオアンの回答 イアコフ(ヤコブ)のように自分の群れを守る者からは、眠りは離れます。(創世記三十一章四十節)そして彼が少し眠る時も、彼の眠りは他の人の覚醒のようなものなのです。なぜなら燃える心の炎が彼が深い眠りに沈むのを許さないからです。そして彼はダワィド(ダビデ)と共に歌うのです。「我が目を明(あきらか)にして、我を死の寐(ねむり)に寐(い)ねざらしめ給へ。(第十二聖詠四節)」このレベルまで達して、すでにその甘美さを味わった者は、言っていることを理解します。このような人は感覚的な眠りに酔うことはなく、ただ自然的な眠りを用いるのです。
質問七十一 もし誰かが私に彼の修室に入り、祈祷するよう頼んだり、または私が誰かに私の所に立ち寄るように頼んだり、または行いにおいて誰かを助けたいと望んだりした場合、当然戒めを犯さない範囲で何回まで拒むべきでしょうか。何回まで同意するべきではないでしょうか。
回答 もしあなたが兄弟の修室に入ったり、彼があなたの部屋に入って、あなたに「兄弟よ、祈って下さい」と言ったりする場合は三回まで「お赦し下さい」と答えなさい。もしも彼が三回答えた後も頼んでくるのなら、その時は謙遜をもって彼の願いを行いなさい。そしてあなたは同様に他の人に三回言いなさい。もしも彼が望まないのなら、彼を置いて去りなさい。なぜなら論争するのは悪いことだからです。そしてどのような場合も、あなたを助けるように勧められても、もしくはあなたが誰かに助け手を差し伸べたいと願っても、三回まで頼みなさい。そしてもし彼が同意しないのなら、平安な心持ちと共にやめ、彼を悲しませないようにしなさい。真実の神の道とはこのようなものです。この道において誠実に清らかな心で、神に助けをもらって修行するように自分に注意を向けなさい。神はあなたに手を差し伸べ、その恩寵をもって助けて下さいます。アミン。
質問七十二 同様の兄弟より。 もしも愛の食卓*2で、私の分をもらったが、私にその必要がない場合、節制をひけらかさないために、それをもらうように命じられますか。そしてそれを病院で必要な誰かに分け与えるべきでしょうか、どう命じられますか。
イオアンの回答 兄弟よ。もしあなたにこの分が必要なら、もらいなさい。もし必要でないのなら、もらわないようにしなさい。さもなければ、あなたのうちに虚栄心が芽生えるからです。
質問七十三 同様の兄弟より。 私が兄弟たちに愛の食卓を開けば、そのことにより私は称賛されます。これは私にとって害がないでしょうか。師父を通して、もしくは自分自身で、自分の勉強のために、隠れて食卓を開く方が良いでしょうか。我が父よ、いかにこの栄光から自由になれましょうか。なぜなら栄光は人の義かつ不義なる行いに追従するからです。
イオアンの回答 あなたはこの二つの意図に対して注意深くなくてはなりません。なぜならこれらは虚栄心のきっかけとなるからです。しかし師父を通してなら愛の食卓を開くことはより簡単でしょう。というのはその場合あなたは自分の心に対してだけ戦う必要があるからです。一方、あなた自身でそれを行うとすると、あなたはすぐに二つの戦いをすることになるでしょう。つまり自分の心に対してだけでなく、他の人々の意見に対しても戦うことになるでしょう。名誉欲と虚栄心から解放されるのはただ古い人を脱いだ人たちだけです。願わくは主はあなたにイイスス・ハリストス、我らの主におけるこの自由を与えて下さいますように。彼に光栄は世々に帰す、アミン。
質問七十四 奉事の時に目を閉じていると、私の考えは集中して来ます。しかしこれは良いことでしょうか。もしかすると、私と共に立っている他の兄弟たちに変に思われないでしょうか。そして兄弟たちは躓いてしまうのではないでしょうか。
イアオンの回答 奉事の間、神のために目を閉じている時、もしあなたの考えが実際に集中してくるのなら、あなたが言ったように、たとえ共に立っている兄弟たちに変だと思われたとしても、それらの兄弟たちには注意を向けないようにしなさい。
質問七十五 同様の兄弟より。 私には自分の本があります。そして考えは私にそれを共同体に与え、本についてはもうこれ以上慮らないように、と示唆します。なぜならもしこの本が修道院の共有のものになるのなら、各人がこの本を読書のために受け取るだろうからです。衣類のこともこれと同様に思っています。我が父よ、おっしゃって下さい。このことを実行すべきでしょうか。私の体の弱さのためにどのような衣類を手元に残しておくべきでしょうか。
イオアンの回答 もしも本についての慮りから逃れたいのならば、あなたが言ったようにするのは良いことです。つまり本を共同体に預けるのは良いことです。なぜなら共同体に属するものは全て神のものだからです。衣類について、どのようなものがあなたに必要かということについてですが、あなたは冬用にコロヴィイ*3二着とレヴィトナリィ*4を一着残しておきなさい。そして夏用には軽いコロヴィイを二着とレヴィトナリィを一着残しておきなさい。さらに冬の極寒の寒さのためには大きくない胸当てを残しなさい。もしも極寒の寒さがない場合はクーコル*5と二つのマンティヤ(一つは冬用、もう一つは夏用)で十分です。同様に掛布団を二つ、一つは暖かいもの、もう一つは薄手のもの。同様にヴラッサャニッツァ*6と枕を残しなさい。これらはあなたに必要なものです。もしあなたにマットレスが必要ならば、それも持っておきなさい。あなたが衣類を与えられて、それがあなたに必要なら、受け取りなさい。一方でその衣類の代わりに古いものは師父に与えなさい。もしもあなたに与えられた衣類があなたに必要ないのなら、同様にそれも師父に与えなさい。願わくは主はあなたが聞き、実行できるようにあなたを強めて下さいますように。なぜならここに、進歩と、更生と、神に喜ばれるものがあるからです。
質問七十六 同様の兄弟から偉大なる長老へ。 あなたが私を病院でのこの務めに配属して下さったので、我が父よ、おっしゃって下さい。わたしはある種の医学の本を読んで自分でも薬を調合する勉強をすべきでしょうか。それともこのことを気を散らすことして慮らず、放っておいた方がいいでしょうか(これが不注意のうちに私の中で虚栄心を呼び覚まさないように)。そして私が今知っていることで十分とし、できるだけ、油や、粉や、軟膏や、概して医学の本を読まなくても対応できる簡単な手段の助けを借りて行うべきでしょうか。
偉大なる長老の回答 まったく欲望の虜から免れるために、私たちはまだ完全に達していないのですから、欲望よりも医学に関することに従事した方がいいでしょう。しかし私たちは医学ではなく、神に希望を置かなければなりません。神は殺し、神は生かすのです。こう言っています。「私はあなたを打ち、そして生かす。(申命記三十二章三十九節)」医学の本を読んだり、それについて誰かに質問したりする時は、神なしに誰も癒しを受けない、ということを忘れてはいけません。それゆえ自分を医学に捧げようとする者は神の名のもとに自分を委ねなければなりません。そうすれば神は彼を助けられるでしょう。医学は人が敬虔に生きることを妨げません。しかし、兄弟の役に立つ手仕事をするように、医学を勉強しなさい。何をやるにも神への畏れをもってしなさい。そうすれば諸聖人の祈祷によってあなたは守られるでしょう。アミン。
質問七十七 同様の兄弟より。 あなたは以前、自分の意志を棄てることは、自分の立場に立とうとする願望ゆえに論争しないということにある、とおっしゃいました。我が父よ、私はどうあるべきでしょうか。時として一見為になる物を私は病人に持って来ますが、それはしばしば害を与える物で、私はこれで自分の意志を実行したことを悲しみます。同様に私は一日中仕事をしています。そして仕事のせいで神について思い出すことができません。また食道楽が私を悩ませます。私は何をすべきかおっしゃって下さい。というのもここに私の救いがあると信じているからです。
ワルソノーフィーの回答 もしもあなたが、何かの物が病人の為になると考えて、自分流にそれを用い、逆にそれが害をもたらしたとしたら、あなたの心をご覧になっている神はあなたを裁きません。なぜならあなたは害をなしたが、病人のためになることを願っていたことをご存知だからです。もしも誰か知っている人が、あなたにあらかじめこれについて言ったにもかかわらず、あなたがそれを軽視して彼の助言に従わなかったのなら、これは傲慢と我がままになります。多くの人がいつもどこかの町について聞き、その町かどうかわからないまま町へ入ることになる場合があります。兄弟よ、同様にあなたも毎日神の記憶の中にいて、それを知らないのです。戒めを持ち、それを守る努力をする、ここに服従と神の記憶があるのです。兄弟イオアンがあなたに言ったことは真実です。「初めに葉っぱを身にまといなさい。その後で神が命じる時に実を結ぶでしょう。」もし益になることを知らないのなら、知っている人に従いなさい。これは謙遜です。神の恩寵を得るでしょう。あなたがここにあなたの救いがあると言ったのも真実です。なぜならあなたは自分自身でここに来たのではなく、神があなたをここに案内したからです。「主によって強くなりなさい。(エフェス(エフェソ)六章十章)」あなたが不平を言っている仕事からは少なからず利益を得るでしょう。できる限り食道楽に対して修行しなさい。そうすれば主はあなたが為になることを知り、実行するのを助けて下さるでしょう。主において勇敢に強くなりなさい。
質問七十八 同様の兄弟より。 あなたは私に言いました。服従と神についての記憶は戒めを持ち、戒めを実行する努力をすることにある、と。そこであなたにお願いします。私にこのことを教えて下さい。神におけるこのような務めに従事し、人々の中にいる者が、絶え間ない神の記憶を持つことが可能でしょうか。そして、我が父よ、それが可能な時に、もしそれが私のためになるのなら、私にそれを請い求めて下さい。なぜならあなたと神には全てが可能だからです。(マトフェイ(マタイ)十九章二十六節)
ワルソノーフィーの回答 絶え間ない神の記憶について。一人一人が自分のレベルに応じてそれを守ることができます。あなたはただ遜りなさい。一方で私は何があなたのためになるか、あなた以上に知っています。それをあなたのために神にお願いしましょう。なぜなら神には全てが可能だからです。(同十九章二十六節)
質問七十九 同様の兄弟より。 憐れみ深い我が父よ、再びあなたに走りつき、あなたが私を強めて下さらない限り、ご迷惑をおかけし続けます。というのは、神があなたの祈りによって、私の罪についてのある種の悲しみを与えて下さったとしても、私は再び少しずつ外面的な気晴らしを通して、それを失ってしまうからです。それゆえ、我が父よ、あなたにお願いします。このことにおいても私を強めて下さい。私に起こる全てのことが神とあなたの憐れみに依るように、そして私の固有なものが何もないように。なぜなら、もしあなたの祈りによって強められなければ、私は何もできないからです。我が父よ、私は病院を管理することを恐れています。というのは、これはある種の権力で、もしかしたら虚栄心と自由な交際の原因ともなりかねないからです。同様にしばしば食物を食べることで、食道楽に傾いてしまいます。それゆえ、あらかじめ自分を教育するために、まず先にもっと低いレベルの従順を行い、そしてその後私がもっと楽になったら、再びかの務めに就くということを検討して下さいませんか。我が父よ、あなたはご存知です。私が言っているのは、この仕事が煩わしく思うからではありません。というのも、罰当たりな私は何をしているというのでしょうか。しかし、この世に生きながら、私は自分の欲望を刺激するのではないか、と恐れています。私は自分でこのように考えるのか、悪魔が私にそれをそそのかしているのかわかりません。我が父よ、どうぞ私に神の御心を知らせて下さい。私を混乱させる考えから救って下さい。あなたの祈祷によって、あなたが言っていることを実行できるように、私を強めて下さい。そして私をお赦し下さい。
ワルソノーフィーの回答 兄弟よ、聞きなさい。私たちがあなたにその仕事を任せた時、私たちの手と私たちの心はあなたと共にいることを、主において確信しなさい。より詳細に言えば、あなたの霊(たましい)の救いについて、また神があなたを行いにおいて強め、あなたに進歩を与え、あなたをこの中で覆うように、私たちが祈りをもって懇願する神の手があなたと共にあるのです。あなたはこの従順に依らなければ、他の方法では救われないでしょう。ゆえに落ち込まないように。倒れたらまた立ち上がり、あなたが望んでいる憐れみを主があなたに施すまで、這い回り、自分を責めなさい。ただ怠慢にならないように。恐れてはいけません。なぜなら、あなたをこの仕事に就かせた主は、それを整えられるからです。私たちは悩みもあなたと共に分け合いましょう。願わくは、悪魔が善のふりをして、あなたを欺くことがないように。次のように言われている通りです。「うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです。(ロマ(ローマ)十六章十八節)」と。あなたにこの務めにつくようにされた方は、全てなのです。主は自分の弟子たちに言われました。「わたしはあなたがたを遣わす。(マトフェイ(マタイ)十章十六節)」さらにご自分の弟子たちに言われました。「あなたがたと共にいる。(同二十八章二十節)」と。恐れてはいけません。権威について回る慮りで憂鬱になりながら、病院についての懐疑で混乱することがないように。もしあなたに書いてあることをあなたが悟ったら、あなたは平穏でいられるでしょう。力に応じて自分にだけ注意を向けなければなりません。そうすれば神はあなたを助けて下さるでしょう。主において健康に暮らし、主において力強くなりなさい。
質問八十 同様の兄弟より他の長老へ。 もし私と共にいる兄弟たちが何らかの罪を犯したら、いかに困惑なしに彼らを更生させるべきでしょうか。
イオアンの回答 もしも神の御意志が心に刻印されていれば、困惑することはないでしょう。逆に師父たちのように善なる習慣を得ることでしょう。もしも神の御意志を忘れ、人としてそそのかされるのなら、痛悔をもって神に言いなさい。「主宰よ、私をお赦し下さい。そして私を憐れんで下さい」と。そしてあなたと共にいる兄弟には言いなさい。「兄弟よ、気を付けなさい。このことを通して私たちは裁きに処せられ、私たちの霊を滅ぼすからです」と。そして、あまりにも大きな声で話すことはやめなさい。そうではなく、聞こえる程度の声で話しなさい。このことを学べば、神に喜ばれる霊の状態に到達するでしょう。
質問八十一 同様の兄弟より。 我が父よ、お願いします。どのようにして隣人を更生させるべきでしょう。そしてどのような場合に愚か者のふりをする、つまりあたかも自分はことが理解できないかのようなふりをし、注意をそのことに向けないようにすべきでしょうか。もしもこのことで進歩しないのなら、そのことに関しては自分に禁止した方がいいでしょうか。
イオアンの回答 人々に対しては次のように行いなさい。罪を犯した人が理性的であなたの言葉を受け入れると知っているのなら、彼を教え諭して、言いなさい。「兄弟よ。もし私たちが怠慢でもって神の仕事をするのなら、これは霊(たましい)にとって滅びです。さて、あなたは今よく働いていますか。今後更生するように努力して下さい。」もしも彼が愚か者だったら、言いなさい。「兄弟よ、私を信じて下さい。あなたはその怠慢によって罰せられるところで、もしも師父に言ったら、彼はあなたを厳しく罰するでしょう」と。一方でいつ自分を愚か者のように見せるか、ということですが、これについては兄弟の過失に応じなさい。もし過失が大きくなかったら、あなたはそれを理解できないようなふりをしなさい。もしも大きな過失であれば、わからないようなふりをする必要はありません。あなたは、成功裏に終わらなかった時、自分に課されたことを続けなければなりませんし、不成功を軽視してもいけません。不成功を経験したら神に赦しを求めなさい。なぜなら、そうしないと怠慢に陥るからです。
質問八十二 同様の兄弟より。 もし兄弟や病人の中の誰かが罪を犯し、私は彼を更生させようと、困惑しながら何かを言うとしたら、私はその後赦しを求めて彼に頭を下げた方が良いでしょうか。もしも彼が私に対して怒って病院を去って行ったら場合、私はどうしたらいいでしょうか。概してどのような罪に対して頭を下げるべきでしょうか。というのも傲慢と自己正当化が理性を眩(くら)ますからです。また誰かが頭を下げる時、再び虚栄心が動き出すきっかけとなります。
イオアンの回答 困惑した時には何も話してはなりません。なぜなら悪は善を生まないからです。あなたの考えが鎮まるまで待ちなさい。そうすれば平穏に話せるでしょう。もしも兄弟があなたに聞き従うのなら、それは良いことです。もしもそうではない場合、彼に言いなさい。「もし望まないのなら、私はこのことを師父に打ち明けます。師父が判断されるように、行いませんか。」こうしてあなたは平穏でいられるでしょう。しかしもし怒って去ってしまったら、師父に言いなさい。師父は彼を諭すでしょう。一方であなたは彼に頭を下げてはなりません。(つまり赦しを請わなくていいのです。)なぜならこれを通してあなたが実際に彼の前で罪があると彼が思うきっかけをつくり、彼はさらにあなたに対して武装するからです。他の人々には罪に応じて、熱心に赦しを求めなさい。あなたの罪は大きいということがすぐにわかるでしょう。そして頭を下げなさい。罪が大きくない時は口頭で、心からの後悔の感情をもって言いなさい。「兄弟よ、私をお赦し下さい。」傲慢と自己正当化から身を守りなさい。なぜならそれらは悔い改めの妨げになるからです。とはいえ人は虚栄心から頭を下げることもあります。この三つの欲望(傲慢、自己正当化、虚栄心)を軽視しつつ必要な所では謙遜と神への畏れと判断をもって頭を下げなさい。あなたの力に応じて、この善行に留まるようにしなさい。そうすれば神は諸聖人の祈祷によってあなたを助けられるでしょう。
質問八十三 同様の兄弟より。 もし病人への奉仕の時に、聖詠経の誦読や聖なる奉献礼儀の時間が来たり、または他の用事があったりして、私と共にいる兄弟たちが、病人の誰に何を与えるか知っている場合、私に行くように命じられますか。それともこれは私にとって重い罪となるでしょうか。同様に、病院にいる必要がない時に、もし私が自分の修室にいたい場合、我が父よ、あなたは私にそれを許して下さいますか。
イオアンの回答 もし、あなたが行くこと、または自分の修室に留まることがあなたにとって罪とならないことを兄弟たちが知っている時には、ただ病人を訪ねに行きなさい。
質問八十四 誰かにその人が必要な物を与える時、物惜しみする心が私を悩ませます。それでその人に上げることができません。このような場合、彼が必要とする物よりも少なく与えるべきでしょうか、それとも必要以上の物を与えるように努めるべきでしょうか。同様にもし、恥じらいつつ、おべっかや虚栄心からのように、また考えが示唆するように私がより多くの物を与えたいと望む場合、私の欲望に反して少し少なめに、または戒めに従って然るべき物を与えなければなりませんか。
回答 もしも物惜しみの心が隣人が必要とする物を彼に与える妨げとなるのならば、あなたが持っている物に応じなさい。もしあなたに多くの物があるのなら、必要とする以上の物を与えなさい。あなたの持っている物が少ないのなら、然るべきものだけ与えなさい。もし虚栄心やおべっかのせいで、より多く与えたいと思うのなら、同様に然るべきものだけ与えなさい。それ以上でなくていいのです。兄弟よ、願わくは神があなたの心を教え諭して下さいますように。
質問八十五 病院のために必要な器を見る時、私はそれに対して執着心を持っていると感じています。その場合、器を取って、自分の欲望に食物を与えるべきではないでしょうか。
イオアンの回答 もし器が必要で、器についての考えがあなたと戦っているのなら、自分の考えに言いなさい。器は私に必要なのだ、それなのになぜ欲望と共に受け取るのか、と。執着があなたと戦うのをやめたら、すぐに器を取りなさい。もしも戦いが終わらないのなら、その時は、都合よく他の器で間に合わせ、お気に入りを取らず、自分の執着心を抑えなさい。必要不可欠な場合はその器を取り、自分を責めて言いなさい。やむを得ない場合でなければ、それを取らなかったであろうに、と。なぜなら自分の執着に打ち勝ったからです。
質問八十六 ある人がかつて私に衣類をプレゼントして下さいました。私はその時、あたかも喜んでいるかのように、少しもわだかまりなく衣類を受け取りました。しかし自分を省みると、それは必要からではなく、高利を貪(むさぼ)ろうとの思いから受け取ったのです。そして考えが私に、それを返すように言います。私はどのように行動すべきか命じて下さいますか。
イアオンの回答 霊の底から与えてくれた人を褒めましょう。そして霊の底から受け取った人を非難しましょう。与えてくれた衣類は、自分を責めながら、謙遜をもって着ましょう。一方であらかじめ高利を貪らないように気を付けましょう。
質問八十七 同様の兄弟より。 もしも誰かが私に物を与えたいと願っていて、私はその物が必要であるが、見たところ私の心が欲望ゆえにそれを受け取ることを望んでいるとしたら、私はいかに行動したらいいでしょうか。必要な場合はそれを受け取るべきでしょうか。それともその物に対する執着心のゆえに拒否すべきでしょうか。
イオアンの回答 食物についてのように、このことについても悟りなさい。あなたは、私たちが毎日食物を必要としているのを知っています。しかしそれを楽しんで食するべきではありません。私たちが、食物を与えて下さった神に感謝してそれを頂く時、自分を不当なる者として責める時、神は食物が私たちにとって成聖となり祝福となるようにして下さるのです。それゆえ、もしあなたが何かの物を必要としていて、受け取る可能性があるのなら、あなたのことを助けて下さった神に感謝し、自分を不当なる者として責めなさい。そうすれば神はあなたから執着心を退けて下さるでしょう。「神には全てが可能で、神にできないことはなにもない。(イオフ(ヨブ)記四十二章二節、マトフェイ(マタイ)十九章二十六節)」からです。彼に光栄は世々に帰す、アミン。
*1 平凡なこととは、害もないが、本質的な利益もないことについて言っている。
*2 愛の気持ちから出た共同の食卓と、食事をしている人を愛と交流へと鼓舞する奉仕は「愛」と呼ばれていた。
*3 袖がない短い衣類。
*4 獣毛で編まれた修道用の上着。
*5 頭巾。
*6 動物の毛でできた苦行服。








