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2021年8月から12月の説教

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カシーラの府主教

フェオグノスト座下の説教

 

2021年8月6日  受難者ボリスとグレブの記憶日

 

父と子と聖神の御名によりて。

 

モスクワ及び全ロシアの総主教キリル聖下から、総主教としての祝福を修道院長と、修道姉妹たち、巡礼者に伝え、また、堂祭、修道院の祭日、聖義徳公、受難者ボリスとグレブの記憶の祭日に、皆さんにお祝いの言葉を述べるようにとのお言葉をいただきました。

 

ボリスとグレブは最初のロシア人の聖人で、未来の歴史を予見していたかのように、兄弟殺しの戦争や内戦に決して巻き込まれないようにと私たちに戒めていました。17世紀の初め、ロシアは兄弟殺しの戦争の恐怖を経験し、20世紀の初めにも同じことが起こりました。ボリス、グレブの祈りによって、主は私たちを鼓舞し、憎しみ合うことを止めてくださいます。「新しい戒めを与える。互いに愛し合いなさい」。

 

復活した後、主は弟子の使徒たちに現れ、いつも説教を「あなた方に平安あるように」という言葉で始めました。聖体礼儀の間、聖職者は何度も祈っている人たちの方を向き、「衆人に平安」と呼びかけます。

 

悪魔は分裂させ、神は一致させます。そして、分裂が始まると、退屈が始まり、悪や戦争が始まるのです。聖詠記者預言者ダワィドは言っています。「主を恃め、願わくは爾の心は固くなるべし、主を恃め。」

 

いつの時代も、社会や家族、友人を分断する悪魔的な勢力が存在します。分裂し、憎悪と自滅の混乱に陥ること。まさにボリスとグレブがハリストスの戒め、愛の戒めがいかに強力であるかを教えてくれました。武器を取ってひどい内戦になる可能性もありましたが、彼らは権力を放棄しました。彼らは、この内戦が起こらないように、それを放棄したのです。ここに彼らの大いなる偉業と模範があります。

 

そして今日も、私たちが彼らに重ねて祈るのは、彼らの祈りによって主が私たちを導き、引きとどめて下さるため、私の近くにいる人もまた正しく、たとえ道を踏み外していたとしても、使徒が素晴らしく言っているように、「もしあなたたちの内の誰かが何か間違ったことをしたならば、あなたたちはそのような人を柔和な(*1)神(しん)で更生させ、自分に注意しましょう。あなた方も誘惑されないようにするためです。」ということを私たちが見て理解できる可能性を与えて下さるためです。ですから、自分自身に気を配り、隣人に注意深く気を配り、平和と愛の神である私たちの神をいつも保ち、覚えていましょう。

 

(*1)日本正教会の創立者聖ニコライは霊(れい)と言う言葉を使うのを極力さけた。理由は日本人が幽霊を想像する可能性があること、と考えられる。代わりに神という字の右上に「。」をつけて、(しん)と読ませ、聖霊ではなく、聖神(せいしん)、霊ではなく神(しん)と言う具合に使用した。ただパソコンだと「。」のついた神という字が出ないので、霊を意味する時は「神」にその都度読み仮名(しん)をつけた。

 

2021年8月10日  「オディギトリヤ」のイコンの祭日

 

モスクワ及び全ロシアの総主教キリル聖下から、あなた方の修道院長、姉妹たち、そしてすべての巡礼者たちへ、総主教としての祝福と、祭日のお祝いの言葉、そしてあなた方の仕事、祈り、奉仕に対する感謝の言葉を伝える祝福を私は授かりました。

 

今日は特別な日、神の母のイコン 「オディギトリヤ」(道案内)の記念日です。聖なる預言者であり、聖詠記者であるダワィドはこう叫びました。「主よ、我に行くべき途(みち)を示し給へ、我が霊(たましい)を爾に挙ぐればなり」(第142聖詠8節)つまり、主よ、私に道を開いてください。私があなたのもとに行くための道です、ということです。ハリストスは自分自身にこう言っています。「私は真理であり、道であり、命である」と。そして、オディギトリヤ、祝福された道案内は、私たちにハリストスへの道を示し、私たちは人生全体が奉仕に向けられるときに祝福されるのです。これは、外見上の仕事や何かをすべきではないという意味ではありません。単純に、主が「まず神の国とその義を求めなさい、そうすれば残りのものはすべてあなたに加えられる」と言っているように、優先順位が重要なのです。そして、私たちが神の道を歩むとき、神のもとに行くとき、主は復活後の最初の言葉をマグダラのマリヤに言います。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとに上っていないのだから。」さらに「わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、またわたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る。』と。」(イオアン20:17) それが私たちの生き方であり、それが私たちの力です。私たちが神の道を歩んでいるとき、神は私たちと共にあります。神が私たちのためにおられるなら、はたして誰が私たちに逆らうことができるでしょうか。

 

 

 

 

2021年9月27日 

 

十字架挙栄祭(訳注:十字架挙栄祭とは一年に12回ある大きな祭りのひとつ。これを12大祭といい、主イイスス・ハリストスや生神女の出来事に因んで、制定されている。この祭日はローマの皇帝亜使徒コンスタンティの母親でクリスチャンだった亜使徒聖太后エレナが晩年エルサレムのゴルゴタの丘で主の十字架を発見したことを記念するお祭り。多くの民衆は十字架を拝みたかったが、人々がひしめき合って、十字架まで行けなかったので、総主教マカリイが主の十字架を空高く上げ、民衆は「主、憐れめよ」とひれ伏したことを記憶する。)

 

父と子と聖神の御名によりて。

 

神の働きは神秘的です。主はその御子、私たちの主であり神であるイイスス・ハリストスを通して人類を救おうと思召され、計画し、実現して下さいました。尊貴にして生命(いのち)を施す十字架。敵の力を追い払う十字架、全宇宙の力である十字架。そして私たちは恩を施す人たちではなく、恩恵を受けている人たちです。主は、私たちに永遠の命という良い遺産を与えてくださいました。主は私たちに、この永遠の命への入り口である良きものを与えてくださいました。しかし、この入り口は十字架を通してのみです。私たちの主イイスス・ハリストスご自身が、私たちの救いのために、恐ろしい受難と、生命を施す十字架と、自由意志での肉体の葬りを耐え忍んで下さいました。私たちにも、苦しみによってのみ、天の国への道が開かれます。そして、私たちの国民が昔から言っていたことですが、「ハリストスは忍耐され、私たちに命じられている」のです。しかし、忍耐は悪意と共にではなく、頑固さと共にでもなく、感動と敬虔さと共にあります。それは、まさに主が与えてくださる苦難を乗り越えることによって、主が私たちに与えて下さる、主が私たち一人一人に与えてくださるあの十字架によってです。神の国への入り口が私たちに開かれています。それは、死がなく、終わりなき命がある王国です。そして、私たちはハリストスの十字架の前に敬虔に立ち、十字架の印を書き、この十字架の印をもって、私たちを誘惑するあらゆる敵対的な力を追い払うのです。

 

主の尊貴にして生命を施す十字架挙栄祭という偉大な祭日のお慶びを申し上げます、この修道院の堂祭に、女子修道院長様、姉妹の皆様、そして巡礼者の皆さんに重ねてお祝いを申し上げます。

 

 

 

2021年10月11日  聖キリルと聖マリヤの記憶日

 

父と子と聖神の御名によりて。

 

戒めはたった10個しかありません。人生のあらゆる場面での戒めは10個しかありません。そのうちのひとつが「あなたの父と母を敬いなさい。そうすればあなたに幸福が訪れ、あなたは地上で長く生きることができます。」というものです。父母を敬うことは、神から与えられた最大の恵みであり、親は子を育てますが、親は自分にはないような人に子供を育てることは出来ないのです。なぜなら、子供は言葉に従うのではなく、親の行動を見て、すべてにおいて親の真似をするからです。

 

20世紀の30年代、このような深遠な無神論の時代に、当時レニングラードにいた心理学者の夫婦がいました。子供が生まれると、小猿を連れて行って一緒に育て、小猿が人間に育つようにしました。しかし、逆のことが起こりました。赤ちゃんが猿になってしまい、夫婦は何もできなくなってしまいました。なぜなら、赤ん坊はこの猿から学び、その逆ではないからです。

 

自分がムッとした時、その怒りを子供にぶつけますが、その原因は常に自分自身にあります。そのような手本を示したのは私たちであり、彼らが私たちにそのような態度をとることを許したのも私たちなのです。だからといって絶望する理由にはなりません。私たちには祈りがあり、悔い改めがあり、そして言葉にできないほどの神の憐みがあります。すべてを克服し、悔い改めるのに遅すぎることはありません。

 

今日、私たちはラドネジの修道院長である克肖者セルギイと、その両親である克肖者キリルとマリヤ(*2)を祈りの中で思い出します。私たちは彼らのことをほとんど知りませんが、彼らがどのように息子を育てたかは知っていますし、見ています。ここには、「その実りによって、あなたは彼らを知ることができる」という素晴らしい福音の思想があります。克肖者セルギイは、両親である克肖者キリルとマリヤの肉体的、精神的、霊的な実りでした。

 

残念ながら、今の時代、私たちはあまり克肖者キリルとマリヤに向かいません。悲しいことがあったとき、子供のことで悩んだとき、私たちは何度も何度もキリルとマリヤに向かって、彼らの憐みを求め、彼らの助けを求めなければなりません。それは、子供たちが学校や家の外で身に付けた欠点を改めることを彼らが助けて下さるためです。

 

教会は地上に一つではありません。天にも教会があります。私たちはそれを信じて生活しています。私たちが子供たちや周りの人たちの良い手本となり、その手本が人々を助けて、この世に生きる人の道に常に立ちはだかる誘惑に打ち勝つことができるように、克肖捧神(ほうしん)なるキリルとマリヤ、ラドネジの修道院長である克肖者セルギイに祈りを捧げるのです。

 

そして今日、この日、キリル総主教聖下から、女子修道院長や修道女の姉妹の皆様、巡礼者の皆様に総主教としての祝福を与えるようにとのお言葉をいただきました。克肖者セルギイの両親である克肖者キリルとマリヤの記憶の日である祭日を祝うようにと頼まれました。願わくは、彼らの祈りを通して、主が私たち全員を憐れみ、救ってくださいますように。アミン。

 

(*2 克肖者キリルとマリヤはロシアで最も有名な聖人、克肖者セルギイの両親で、ロストフの貴族。後にラドネジに移り住んだ。子育てと共に、ハリストスの戒め、貧しい人を助け、旅人をもてなすことを決して忘れなかった。そうして彼らは意図せずして天使をももてなした。聖セルギイは修道士になりたい旨を両親に伝えたが、キリルとマリヤは彼らの死後に修道生活を送ることを祝福し、聖セルギイはそれに従った。彼らは子育てが終わると、ラドネジの近くのハチコバの修道院に入って、修道者として永遠の命への準備をした。最後には修道の最高位である大スヒマの位を受けた。聖セルギイは自分の墓参りに来る前に両親の墓参りに行って下さい、との戒めを与えていたが、ハチコバのキリルとマリヤの墓から次々と奇跡が起こり、近年聖人としてロシア正教会で列聖された。この説教は聖キリルとマリヤの不朽体があるハチコバの修道院でなされたもの。)

 

 

 

 

2021年11月4日 カザンの神の母のイコンの記憶日

 

父と子と聖神の御名によりて

 

もし、ある人が全世界を手に入れても、その魂を損なうとしたら、その人は失ったものに対してどんな代価を払うでしょうか。そうです、主も、悪魔が、悪魔を崇拝する見返りとして、世界のすべての王国を主に与えるように勧めたときの例を私たちに与えられました。「あなたの神である主を拝み、ただ主にのみ使えよ。」

 

今日は特別な日で、カザンの神の母のイコンを記念する日です。(*3) ポジャールスキー公と一般市民のミーニンの指揮下にある義勇軍、人民義勇軍はモスクワに行き、神の母のカザンのイコンに助けられました。彼らはそれまでの皆と違って、自分たちのものを探していたわけではなく、権力を奪いに行ったわけでもありませんでした。彼らは、首都を武力干渉者から解放し、そして集会を開き、すでに神の意志によって、民衆の意思によって、全ロシアの新しいツァーリを選出するように行ったのです。

 

一人ひとりに大小の誘惑があり、神様のものを選ぶか、自分のものを選ぶかを選択します。というのも、主も私たちに例を示し、「自分の意志を行うためではなく、自分を遣わした父の意志を行うために来た」と言われたからです。そして、私たち一人一人は、自分が心底クリスチャンであるとみなすならば、自分の意志を求めず、自分の利益を求めず、神の意志と自分の側にいる隣人の利益を求めなければなりません。そうすれば、私たちは罪を犯すことなく、すべてが神の御心のままになり、万物をよく整え、建設する主ご自身が、すべてを善い方向に整えてくださいます。すべての人の善のために、そして私たちの地の善のために、そして正教会の善のために。

 

皆様の聖なるお祈りに感謝するとともに、祭日のお祝いを申し上げます。ハリストスの聖機密を受けた領聖者の皆さんおめでとうございます。

 

 

(*3 ミーニンとポジャールスキーは1612年ポーランドからモスクワを解放した英雄。ポジャールスキー公は予め人々を奇跡のカザンの生神女のイコンで民衆に十字架の印をかいて祝福し、敵を撃退した。その後新しい皇帝を選出した。モスクワの赤の広場に彼らの銅像がある。)

 

 

 

 

2021年11月5日 ハリストスへの信仰について

 

父と子と聖神の御名によりて。

 

救世主ハリストスは、洗礼者のイオアンの弟子たちの「あなたこそが我々が待っている人ですか」との質問に、「あなたがたが見た奇跡を伝えなさい」と答え、そして主は「私につまずくことのない者は幸いである」と言っています。実に、いつの時代もハリストスは、不信心者にとってはつまずきの石ですが、彼を愛する者にとっては力であり要塞なのです。

 

「あなたの隣人は、あなたの友人ではない 」と主は言っています。自分の故郷で世界の救世主の同胞たちは次のように考察しました。「どこから彼に」すなわちハリストスに、「知恵と力が与えられたのだろう。この人は大工の息子ではないか。母はマリアではないか。また、彼の兄弟はイアコフ、ヨセフ、シモン、イウダではないか。彼の姉妹は私たちの中にいるのではないか。」などです。そして次の言葉です。「このように人々はイイススにつまずいた。」(マトフェイ13:56-58)のです。

 

人々は世界の救世主の近くにいること、ハリストスの近くにいることを受け入れる信仰、神に感謝する信仰が足りませんでした。そして、私たちの時代にもほとんど変化がなく、疑い深い人たちや小心な人、不信人な人がたくさんいます。

 

しかし、私たちは使徒パワェルと一緒に言いましょう。私たちは、十字架につけられ、復活したハリストスを宣べ伝えています。ギリシャ人には躓(つまづ)き、ユダヤ人には愚か、しかし、救われていく私たちには、救世主ハリストスが言っているように、力と救いなのです。私たち人間のために、私たちの救いのために、恐ろしい受難と生命を施す十字架を受け、自由意志で肉体による埋葬をお受けになった、救い主であるハリストスへの信仰を堅持することができるよう、主が助けてくださいますように。

 

そして、私たちは主の御名によって生きており、主の恵みによって生きています。私たちはハリストスによって生き、ハリストスの外では私たちは自分から何も期待できません。一方で、ハリストスの内にあり、ハリストスと共にいる私たちに、力、信仰、希望、愛、永遠の命への恃(たの)みがあるのです。アミン。

 

 

 

2021年11月21日 大天使ミハイル祭

 

父と子と聖神の御名によりて。

 

聖書は、「はじめに神は天地を創造された」という言葉で始まります。聖師父たちは、地を物質的な世界、天を霊的な世界と理解していました。しかし、その後、天についてはほとんど語られておらず、聖書ではその後、地、つまり物質的な世界について語られています。しかし、天の世界について語られている数行でも、天がどれほど強力で、どれほど美しく、どれほど神聖なる本質を持っているかを理解する助けになります。大洪水の前に、すべての肉なるものが主の前でその道を曲げてしまったと言われているように、主は、「わたしの神(しん)が人の中で軽視されることは永遠にない。」と言われています。天使たちは物質的な体を持っていません。彼らはすべて神(しん)で構成されています。そして、主は物質的な肉体を持つ人々に神(しん)を与えますが、その量が少ない人もいれば多い人もいます。また、タラントの譬(たと)えは、地上の贈物のことではなく、神がすべての人に与えた神(しん)のことです。そして、神(しん)における生活は、読まれた祈りの数ではなく、巡礼の数でもありません。神(しん)における生活とは、神(しん)が体と霊(たましい)を支配することです。そして、見事にこう言われています。聖神に支配されず、欲望がどこへ向かうかを規律し、制御し、指示する知性に支配されない霊(たましい)、そのような霊(たましい)は滅びる、と。理性のない動物のように。彼らの神(しん)は、欲望に引き付けられ、御者の祈祷から外れた馬に翻弄されるかのようです。主は人間をこのように設計し、人間の中の神(しん)が霊(たましい)と体の両方を支配するようにしました。しかし残念なことに、今日見るのは逆のことです。体が霊(たましい)を支配し、霊(たましい)が神(しん)を支配しています。それは倒錯であり、災いです。そして、「なぜ現在起きていることが起こるのか」と問題提起します。そう、それは私たちは神(しん)を忘れてしまっていますが、人は神(しん)によってだけ生きているからです。第百三聖詠(詩編104)で見事に語られているように。「爾の気を施せば造られ、爾は又地の面を新にす…其気を取り上ぐれば死して塵に帰る」そして私たちが自分の罪を悔い改めるとき、おそらく一番恐ろしい罪は、主が与えてくださった神(しん)をないがしろにしてしまうことです。神(しん)が私たちを導くのではなく、霊(たましい)か体のどちらかが私たちを導く場合です。そして、霊的生活、神(しん)の中で生きるという生活は、おそらく最も美しいものです。しかし、誰もがそれを実現できるわけではありません。なぜでしょうか。また、ある聖人については、「彼は天使に等しい人生を送った」と言われています。言い換えれば、神(しん)が肉体と霊(たましい)の主人であったということです。

 

今日は、聖なる神の大天使ミハイルの記念日であり、彼とともに、すべての尊貴なる無形の天群たちを記憶します。願わくは彼等の転達により、主が私たちの中に住んでいる神(しん)を愛し、この神(しん)の中で生き、神(しん)に導かれるように助けてくださいますように。そうすれば、今の時代にも、未来にも、神とともにいることができるでしょう。

 

祭日を迎えられた皆様、ハリストスの聖機密を受け取られた皆様、おめでとうございます。

 

 

 

2021年12月9日 人間の願望と神の摂理について

 

父と子と聖神の御名によりて。

 

今日の福音書では、主がご自分のお弟子さんたちにどのようにして「心の準備をしよう」と言ったかについて聞きました。というのは、主がエルサレムで多くの苦しみを受け、十字架にかけられ、復活することになっていたからです。そしてご覧ください、驚くべきことに、福音書記者は「彼らは聞いたが、何も理解しなかった」と言っています。本当に、預言者がここで言っているように、彼らは見ても見ず、聞いても聞こえなかったのです。使徒たちだけではなく、旧約聖書では預言者は受け入れられず、世の常として、自分の発言がその場にいた人たちの気に障ったために卑しめられたのです。

 

例外は、イオナの説教で悔い改めたアッシリアの人々で、彼らはそれによって救われました。

 

なぜ、私たちは預言の言葉を聞きたくないのでしょう。

 

なぜなら、自分の好きなように生きていきたいからです。私たちは、自分の願望や欲求や欲望に応じて生活を整えます。そして、それは神の摂理とは決して一致しません。そして、私たちはいつも失望しています。なぜなら、私たちの人間的なものが実現するのではなく、神様の意志が実現するからです。

 

そして、預言者に耳を傾け、聞くことを学ぶため、このためには、どのような些細な言葉であっても、自分の意見を捨てなければなりません。自分の意見、つまり、あなたの意見を捨てるのです。実際それ自体は何も表していません。そして、自分の意見を捨てて、神の言葉に意味を見出す人、主が導かれる道を観察する人は祝福されています。というのは、主は、言葉だけでなく、しるしの言葉でも私たちに語りかけてくださるからです。

 

振り返ってみると、主がどのようにして私たちを止めたかを、いかに主が私たちに警告し、諭して下さったかを見ることができます。そいうのはこれも同様に預言であるからです。そして、人間は安全を求め、人間は救いを求めていますが、安全を求め、救いを求めるためには、救いと安全について語る神の言葉を聞かなければなりません。

 

そして、自分の乏しい理性では神の摂理の奥義をすべて収めることはできない、ということを最終的に私たちが理解し始めたとき、その時、私たちは信じ始めるのです。そうして、信仰において、私たちに世のすべての奥義と私たち固有の審判、我々に対する神の審判が明らかにされるのです。

 

 

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