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2021年4月の説教

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斎と祈りによって!階梯者克肖者イオアンの主日

 

大斎の第4週、階梯者克肖者イオアンの主日である4月11日、旧コニューシェノ村にある神品致命者ウラシイ聖堂で、教区の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院が聖体礼儀を執り行いました。

 

ゲラシム掌院は説教の中で、この日、教会は7世紀にシナイ山に住み、『梯子』(現代ロシア語では『階段』)を著した卓越した霊的苦行者であり、作家である階梯者聖イオアンの記憶を記念していると述べました。

 

この本では、人間が一番最初の段階から完璧な高みへと登っていく様子が描かれています。この道のりは簡単なものではありません。いつも誰かが人の足を掴んで、階段から突き落とそうとしています。しかし、忍耐と勇気を持って階段を登った人は、完璧な状態に到達することができるのです。

 

日曜日の奉事では、主が悪魔に取り憑かれた若者を癒したという福音書の話を読みました。悪魔に取り憑かれた少年の父親は、息子を治そうと、医者に相談したり、ハリストスの弟子のところに連れて行ったりしましたが、誰も何も助けてくれませんでした。そして、その不幸な父親は救い主のもとにやってきて、主ができることをしてほしいと頼みました。「しかし、イイススは彼に言った、「あなたは『もしできるなら』と言った。信じる者にはすべてのことが可能である。」すると、その子の父親はすぐに『私は信じています、私の不信心を助けてください』と叫んだ。」そして、主はこの人の信仰によって彼の息子を癒しました。

 

そこで、弟子たちはイイススに尋ねました。「なぜ、私たちにはできなかったのですか。」主は彼らにこう答えました。「この種の(汚れた)ものは、どんな方法でも癒すことはできず、ただ祈りと斎によってのみ癒すことができるのである」と。

 

ですから、斎という偉業がなければ、このような奇跡を起こすことはできないのです。また、斎とは何でしょう。現代では、斎に対する人々の考え方は、少し「混乱」しています。多くの人は、ダイエットと考えています。しかし、まず第一に、斎はある種、自己を拘束することを意味します。斎とは、ある種の悲しみを意味します。教会の戒めによって、何かを奪っていることを示唆しているのです。

 

そしてこの喪失は、実際に正当なものなのです。

 

例えば、水曜と金曜に斎するのは、ハリストスが水曜に裏切られ、金曜に十字架にかけられたからです。古人たちの思想によれば、私たちは堕落した兄弟であるユダヤ人のために斎します。そして、彼らがいつの日か悔い改めて主のもとに戻ってくることを願っています。

 

斎をする人は 「軽く」なります。そして、聖神が彼の体に 「より容易に」入ります。食べる量が少ない人は、より簡単に立ち上がり、より簡単に伏拝をし、より簡単に祈ります。

 

私たちの魂は、肉体で斎をすることでより自由になり、体はすでに牢獄ではなく、私たちの魂の助手となるのです。これが実際にあるべき姿です。

 

主は地上生活の間、斎を続けられました。

 

ですから、この斎の日々を明るい気持ちで過ごすようにしましょう。教会の教父に倣いながら。それは、私たちの太った肉のせいで、天国への階段の段が私たちの重みで折れてしまわないようにするためです。

 

まず、大食漢と甘いもの好きの欲望を克服してみましょう。徐々に他の全ての欲望を浄化していきましょう。そして、主は私たちを慰めのないままにしておかれることはありません。誰もが自分の王冠を手にすることができます。

 

人は、よちよち歩きでも、立ち止まらなければ、主から慰めを受けずに立ち去ることはありません。

 

 

「何世紀もの間、神の母は私たちと共にいて、私たちの祈りに応えてくれています」。

 

 

大斎第5週の4月17日(土)、神の母の讃揚の祭日(アカフィストのスボタ)に、教区の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院は、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で霊体礼儀を行いました。

 

掌院は説教の中で、祭日の歴史を振り返りました。この祭日は、9世紀に、侵入してきた敵から至聖なる生神女の助けと執り成しによってコンスタンティノープルが繰り返し解放されたことを記念して制定されました。

 

最初、アカティストの祭日はコンスタンティノープルのブラヘルナ聖堂で行われました。ここには神の母の奇跡のイコンと、彼女の地上での生活の聖品である衣服と帯が保管されていました。しかし、その後、この祭日はストゥディオスの聖サヴァの修道院の奉事規則に入れられ、さらに教会の奉神礼書にも載せられ、その時から東方教会全体で共通のものとなりました。

 

一度、蛮族が(再び)コンスタンティノープルを襲い、もはや救いの望みはなかったことがありました。その時、至聖なる生神女の聖像が持ち出されると、ひどい嵐が起こり、攻撃してきた人たちの船が沈んでしまいました。街は救われたのです。

 

今日、私たちは、何世紀も前に神の母がキリスト教徒のために執り成してくださったことを感謝して思い出します。そして、このような彼女の執り成しの例は、ロシア正教会の歴史においても知られています。神の母が自分の民を敵から守ったことは一度や二度ではありません。過去何世紀にもわたって、神の母は私たちと共にいて、私たちの祈りに応えてくれています。そして、国籍は関係ありません。

 

同時に、天の女宰は、私たちが神の母の御子の戒めを守らずに神の母を悲しませることで、この世で犯される罪や咎(とが)を、涙と悲しみをもってずっと見つめています。

 

私たちの罪や彼女の御子への不従順で至聖なる生神女マリヤを悲しませないように、彼女が私たちを愛し、いつも私たちを覆ってくださるようにしましょう。

 

実際、もちろん彼女は私たちを愛しています。彼女の子供たちとして。そして、子供がどんなに罪を犯しても、母親はその子を愛し、その子を覆っていることを知っています。しかし、私たちは神の忍耐を試すべきではありません

 

改まるように努力しましょう。罪を悔い改めましょう。主が私たちから御顔を隠し、御自分の母が私たちを守ることを禁じることがないように。

 

***

 

前日の4月16日の夜、ゲラシム掌院は「至聖なる生神女へのアカティスト」と共に早課を行いました。

 

 

「大斎の最後の日曜日に、私たちはハリストスから近いのか遠いのか、考えてみましょう」

 

 

大斎第5週の4月18日、エジプトの克肖女マリヤの記憶日に、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で、教区の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院が聖体礼儀を執り行いました。

 

ゲラシム掌院は説教の中で、主が間もなく受難と十字架での死と復活のためにエルサレムに入られることについて語りました。

 

大斎の最後の日曜日に、私たちはエジプトの克肖女マリヤの記憶を思い出します。信じられないような人生を送った聖人です。エジプトの克肖女マリヤの悔い改めの姿は、偉大で超自然的なものです。それを真似するのは至難の業です。

 

今日、教会は、ファリセイ人シモンの家でハリストスのもとに来て、救い主の足に香油を注ぎ、涙を流し、髪の毛で拭い始めた罪女についても特別に朗読しています。

 

「主を招待したファリセイ派の人はこれを見て、『この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに』と思った。そこで、イイススがその人に向かって、言った…『ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。』シモンは『帳消しにしてもらった額の多い方だと思います』と答えた。イイススは「そのとおりだ」と言われた。そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入ってきてから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」そしてイイススは女に、『あなたの罪は赦された』と言われた。」(ルカ7:39-48)。

 

確かに、救い主がこの女性を赦したのは、香油を持ってきたからではなく、彼女の信仰、自分の罪を心から悔い改めたことによるものでした。

 

しかし、ファリセイ人のシモンにはそのような信仰はありませんでした。古代のファリセイ人は、旧約聖書の律法のすべての戒めを徹底的に果たした人たちでした。彼らは人々の手本となりました。しかし、彼らの中には高慢になり、信仰が弱くなった者もいました。

 

機械的に戒めを守るだけでは、救いにとっては不十分です。信仰によって救われるのです。

 

今日は、もう一つの福音書の物語が示されていますが、それは首位についてです。二人の弟子がハリストスのもとに来て、御自分の王国で彼らを右手と左手に座らせてくださいと頼みました。しかし、救い主は彼らに答えて、誰がどこに座るのかは主が決めるのではなく、「備えられた人に与えられるのだ」と言いました。

 

そして、「備えられた人に」とはどういうことでしょう。その中には私たちの人間の自由も含まれます。それにより、私たちが天国のどこにいるか、決まるからです。なぜそうなったのか。なぜなら、私たちの信仰が永遠の中での私たちの居場所を決めるからです 神様にどれだけ近づけるか、どれだけ遠ざかるか。

 

ただ信仰だけです。そして、この信仰につながる戒めの実践。これがハリスティアニンとしての私たちの主な課題です。つまり信仰を持って戒めを守ることです

 

この2つの福音書の朗読は、私たちに「私たちはどこにいるのか」という最も重要なことを考えるように促します。私たちはハリストスから近いのか遠いのか。私たちは正しい結論を出し、ハリストスの畑でより一生懸命働き始めなければなりません。天国で主の右にいて、聖人のために用意された天の住まいに住まわせていただくことができるようにするためです。

 

 

「ハリストスの衣をつかむようにしなければなりません」。

 

 

2021年4月25日、大祭の第6週、聖枝祭、主のエルサレム入城の祭日に、教区の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院が、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で聖体礼儀を行いました。

 

掌院は人々への説教の中で、十二大祭のお祝いを述べられました。ゲラシム掌院は語りました。「私たちの主イイスス・ハリストスの地上での旅が終わろうとしています。ハリストスはエルサレムで苦しみ、死をなめるためにやってきます。しかし、その前に、4日間死んでいた人を復活させるという、最大の奇跡を起こされます。」

 

それ以前にも、主は人々に衝撃を与えるような様々な驚くべき奇跡を起こされました。ある人は信仰に導かれ、ある人は憤(いきどお)ったのです。ある人は、ラザリを死なせてしまったということにおいてでさえ、ハリストスを非難しました。

 

伝統に従って、埋葬の前に死者は洗われ、アロエの混合物に浸された清潔な包帯を巻かれました。ラザリは埋葬されたのです。ですから、ラザリが死んだことは疑う余地のないことなのです。

 

そして、ここで皆の目の前で奇跡が起こりました。お葬式にはたくさんの知人が参加していました。ハリストスが来て、死んだ人を復活させるのです。

 

これはあまりにも素晴らしい奇跡だったので、エルサレムの多くの人々は「これこそがイスラエルの王、まさにメシアだ!」と叫んだのです。この知らせが届いた人々は、棕櫚(しゅろ)の枝を手に取り、凱旋するハリストスを迎えに出てきて、「オサンナ、主の名によって来たる者は崇め讃めらる」と叫んでいました。これこそが、イスラエルの悲願の成就なのです。イスラエルの王の登場です!ついに憎きローマ人から解放されるのです。私たちを自由にしてくれます。

 

しかし、数日が過ぎてしまいます。革命はありません。そして、花でハリストスを歓迎し、自分の服を主のために道に敷いた人々は、広場で全く違う言葉を叫ぶのです。「彼を十字架につけろ」と。

 

そして、最後まで主に従ったのはごく少数の人たちだけでした。十字架の下に立っている人は数人しかいませんでした。一番近くにいた弟子たちも散ってしまいました。

 

これらの出来事を考えるとき、私たちは自分自身についても考えなければなりません。このような状況のとき、私たちはどうすればいいのか。そして、試練の時には、退くのではなく、ハリストスと共にとどまる準備をしましょう。というのは、私たちの祖国は天のエルサレムだからです。そして、この市民権を放棄してはいけません。

 

では、何が私たちを強めてくれるのでしょうか。もちろん日々戒めを実行することです。これからの一週間、私たちはもっと福音書を読み、何かをあきらめ、何かを惜しみなくやってみて、力相応の苦行をする必要があります。そして、常にハリストスに従い、ハリストスと共にいるために、そして遅れを取らないために、ハリストスの衣をつかむようにしなければなりません。

 

 

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