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2021年3月の説教

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私たちは一人一人の中にハリストスを見なければなりません。

 

3月8日、最期の審判についての断肉の主日に、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で教区の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院が聖体礼儀と聖水式モレーベンを行いました。

 

ゲラシム掌院の説教のテーマは最後の審判についてでした。この日に読まれる聖書では、いかに最後に主が全ての人類を呼び集めて、人々を羊、つまり義人の方に分けるか、山羊、つまり罪人の方に分けるかについて言及されています。

 

義人は右側に立たされ、罪人は左側に立たされます。

 

そして義人に対しては、主はこう言うでしょう。「祝福された者よ、来なさい」と。なぜなら「わたし」が食べたかった時、あなたはわたしを養い、渇いていた時には飲ませ、裸の時に着せ、病気の時に見舞ってくれたからだ。しかし義人は主に質問します。「いつ地上の生涯において、私たちは主である『あなた』を見たでしょう」それに対し主は答えます。自分の兄弟である隣人を助けた時、これは主ご自身のためにしたのである、と。

 

一方で神は罪人を自分から追い払います。というのは、彼らは逆に自分の生涯において周囲の人たちに何の憐みも施さなかったからです。

 

このように最後の審判の主たる基準は隣人に対する態度なのです。

 

主は民衆に教えました。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。これが第一の掟である。第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい』この二つにまさる掟はほかにない。」(マルコ12:30-31)

 

もちろん神を観るためには霊的な視力を身に付けなければなりません。しかし私たちが常に覚えていなければならないのは、私たちには毎日神を観るチャンスがあるということです。というのも、自分の隣人を助けながら、私たちはこれを神のために、神ゆえに、主の御名によって行っているからです。このようにして救われることができるのです。

 

このことを覚えておくことは大変重要です。私たちの救いのためには、修行用の鎧をつけたり、塔の上に登ったり、絶食したり、眠らなかったり、という極端な苦行は必要ありません。救われるためには憐み深くあり、隣人を愛する必要があるのです。

 

一方でもし憐みが禁欲主義的な苦行を伴うのなら、人の心は花咲き、彼の愛は隣人だけでなく、全世界にも広がるでしょう。聖人たちは祈り、全ての人達を助けようとしました。地獄にいる人たちさえをも助けようとしました。

 

大斎が近づいてきます。皆さん、自分の心を見つめてみましょう。どれだけ私たちが隣人のことを忍耐できるか見つめてみましょう。私たちの隣人の弱さを赦しましょう。自分の隣人に「食ってかからず」、彼らを苛立たせず、逆に憐み深くあり、全ての人を励まして、ハリストスが私たちに戒めているように行動しましょう。このようにしてだけ私たちは世をより良い方向に変えることができるのです。

 

最期の審判で主の右側に入れるように、聖人たちの人生に倣いましょう。

 

 

人間の使命とは何か:主の授洗イオアンの頭が発見された日のゲラシム掌院の言葉

 

3月9日、教会は預言者、前駆、主の授洗イオアンの頭が発見されたことを記憶します。最初の発見は4世紀、二回目の発見は452年でした。この日、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂では教区の主管者たるゲラシム(シェフツォフ)掌院により聖体礼儀が行われました。

 

ゲラシム掌院が人々に強調されたのは、前駆イオアンはイコンでしばしば天使の羽をもって描かれているということです。というのもイオアンは、主の前で主の道を福音するために主から派遣された「天使」そのものだからです。さらに前駆は荒野の天使とも言われます。なぜなら授洗イオアンは修道の創始者だからです。

 

これは荒野に住んだ、最初の新約の修道士でした。彼はすべてのこの世の福楽を捨て、絶え間ない厳しい斎を守っていました。修道士たちは常に前駆イオアンを模範としていました。「ですから今日は特別な修道の祭日なのです」とゲラシム掌院は語りました。

 

掌院はさらに次のことに注意を促しました。つまり、この日、教会では聖人の頭が二回発見されたことを祝うということです。「これは不朽体を敬うことの大切さを強調しているのです。」

 

というのも人間は魂と体が一つになって出来ています。苦行者の人生が聖なる者であるがゆえに、彼らの魂だけでなく、体も、さらに彼らの衣服や彼らが触った物も聖になるのです。

 

正教のハリスティアニン一人一人の課題は魂も体も聖になって、私たちの周りの世界をより良くしていくことです。ここに人間の使命もあるのです。

 

魂と体が聖になった最初の新約の聖人が前駆イオアンです。そして彼は修道だけでなく、在俗信徒にとっても、私たちの力が及ぶ限り、倣(なら)うべき模範となるのです。

 

「最も大切なのは、戒めを守ることです。これにより私たちの魂と体は成聖します。ただハリストスと一体となることで、私たちは救われるのです。そして今日という日は大斎を迎えるにあたって、私たちに力を与えてくれます」ゲラシム掌院はこう結びました。

 

 

隠れて斎し、祈らなければなりません。

 

2021年3月14日、乾酪の主日、アダムの追放の記憶日(謝罪の主日)に旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で、教区の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院により、聖体礼儀が執り行われ、謝罪の儀式が司祷されました。

 

掌院はこの日の意義について語りました。今日教会はアダムが楽園から追放されたことを記憶します。これは極めて、悲しい出来事です。人が自由意志で神から離れ、戒めを破り、自分の創造者から離れ、楽園から追放されたのです。自分の額に汗して畑を耕し、アダムが失ったものについて泣くように裁かれたのです。

 

イイスス・ハリストスは、人類に楽園を返すために己を犠牲としてこの世に来られました。そして今日私たちはもちろん、アダムとは異なった状況下にいます。しかし私たちのうちのわずかな人だけが開かれた楽園に入ろうと努力しているのです。私たちは罪を犯しています。そして自分自身で己を不当な者としているのです。

 

ところで最初に楽園に入ったのは、悔い改めた盗賊で、彼は主の隣で十字架にかかっていました。これは、全ての悔い改める人間に天国の門が開かれていることを意味しています。

 

そして斎のこの聖なる日々に、自分自身の状態に注意を向けることが重要です。私たちは天国に戻る用意があるか、それともこの世に留まりたいか、熟慮するのです。

 

斎の日々、私たちは出来る限り情報の雑音から遠ざかり、熱いニュースに注意を向けないで、用もなく自分の携帯をちらちら見たりすることを控えなければなりません。例えば、私たちのうちの多くが金口イオアンや他の聖師父の著作を読んだでしょうか。

 

皆さん、パスハに向けて何キロ体重をおとしたかではなく、何キロの罪をそぎ落としたかに注意を向けましょう。できるだけ自分の魂に注意を向けて斎の時期を過ごすように努力しましょう。

 

もちろん誘惑はあるでしょう。しかし、息継ぎもあるのです。私たちはつまずきますが、重要なのは前へ進むことです。同様に誰をも責めたり、他人の皿を覘(のぞ)いたりする必要はありません。斎の量は各人が自分の指導司祭と相談して個人的に決めます。

 

掌院が同様にとりわけ強調したのは、隠れて斎し、祈らなければならない、ということです。自分の苦行をひけらかしてはいけません。これに関連して、ゲラシム掌院は恩寵に満ちた斎の例をあげました。

 

説教の最後に掌院は皆に赦しを求めました。

 

 

旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂での謝罪の祈祷

 

3月14日、乾酪の主日、アダムの追放の記憶日(謝罪の主日)の夕方、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で教区の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院により晩課と謝罪の祈祷が行われました。

 

晩課の発放詞の後、ゲラシム掌院は大斎の初めの祈りを唱えました。その後、説教をし、その結びで聖堂の信者の皆さんに赦しを請いました。

 

ゲラシム掌院は強調しました。「今年になって初めて私たちの聖堂でシリヤの聖エフレムの祝文の言葉が響きました。これは私たちにとって、私たちの全生涯における、そしてこの大斎における特別の課題です。私たちは、主が私たちを、怠惰、憂鬱、人の上に立ちたいという欲求、そして無意味なおしゃべりから免れるのを助けて下さるように、私たちに謙遜、忍耐、愛の神(しん)を与えて下さるように、私たちの兄弟を裁かないように主にお願いします。」

 

ゲラシム掌院は皆さんに、心地よい、主に喜ばれる斎をもって斎すること、厭(いと)わしい行いから離れ、憐み深く、愛想よくするようにと願われました。誰も私たちが斎していると分からないように、喜びをもって、溢れるほどの愛をもって、謙遜をもって、自分の顔を洗うのです。

 

掌院が強調したのは、主は私たちが敵を愛するように召命していることです。しかし神の助けなしにはこの苦行は人間にとって不可能です。「それゆえ私たちの課題というのは、主が私たちをその恩寵によって聖にしてくださるように、善い土壌と善い種を準備することです。その時私たちの種が成長し、善き実を結ぶためです。」

 

 

最初の先備聖体礼儀。聖堂の主管者の聖名日。

 

3月17日旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で教区の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院により今年初めての大斎の先備聖体礼儀が行われました。

 

ゲラシム掌院はその説教の中で次のことを思い起させました。「今日教会は偉大なる聖人、ヨルダンの克肖者ゲラシムの記憶を祝います。克肖者ゲラシムは、神品致命者ウラシイのように、野生の動物を彼のもとに惹きつける聖神の芳香を獲得しました。これは楽園でアダムから発せられた芳香です。まさしく、それゆえに獣たちは最初の人間を恐れなかったのです。」

 

聖ゲラシムの伝記はラドネジの克肖者セルギイやサーロフの伝記のように、子供たちにとても愛されています。苦行者には野生の獣が近づいて来ました。多くの若いクリスチャンにとって、これは非常に興味深いことです。

 

すべてこれらの聖人たちがその人生の中で証しているのは、人は最初に作られた楽園の状態まで戻ることができるということです。無欲の状態、つまり、罪深い欲望がない状態まで。善行に満ちた状態まで。獣たちが、人は彼らの敵ではなく、聞き従うべきご主人様だと理解するほど、恩寵に満ちた状態に戻ることが出来るということです。

 

ゲラシム掌院は全ての人に、私たちの善なる思考に対する答えとして、主が私たちの魂を聖性で満たして下さるように、願いました。「皆さん、私たちの意志と神の意志を一致させましょう。」このように掌院は呼びかけました。

 

 

「イコンを崇拝しながら、私たちは自分の信仰の正当性を告白しているのです」

私たちの聖堂での正教勝利の祭日

 

2021年3月21日大斎第一週、正教勝利の主日に旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で教区の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院により聖体礼儀と、それに続き正教勝利の儀式が行われました。

 

 ゲラシム掌院は説教の中でこう指摘しました。「これは特別な祭日です。この祭日は聖像破壊者たちに聖像崇拝者たちが勝利したことを記念して制定されました。教会生活の中には、聖像崇拝が偶像崇拝ではないか、という論争があり、この論争のために聖像を崇拝する人々が迫害されていた時期が相当長く続きました。残念なことに、多くの皇帝や総主教たちは聖像を拝まなくてもいいと決定しました。そして聖像破壊の時期が始まりました。この時期にイコンは撲滅され、聖像を崇拝する人々は迫害に処せられたり、恐ろしい試練にあったりしたのです。」

 

その結果、教会の師父たちは、その中にはダマスクの克肖者イオアンや克肖者フョードル・ストゥディトもいますが、私たちのイコンへの態度を明確に決定しました。彼らは、イコンを見ながら、私たちは板や絵の具を崇拝しているのではなく、原像を崇拝しているのである、と強調しました。つまり私たちの崇拝はイコンに描かれているお方に向けられているのです。聖像を見ながら、私たちは自分の智を神へと上昇させるのです。

 

聖像崇拝は私たちの信仰の最も基本的な理念に対応しています。主は人となられたのです。幻想ではなく、現実にこの世にいらしたのです。ですから私たちは主を描くことができるのです。

 

もしも私たちが神をイコンに描く可能性を拒否するのなら、私たちは神の籍身と主の人性を拒否することになります。このようにして私たちは私たちの信仰の全てを否定するのです。

 

聖像崇拝のために戦った人々は何らかの哲学的な見解を残しませんでした。これは美術評論家の論争ではなく、深い教義的な論争で、その中で私たちの信仰の正当性が守られたのです。

 

イコンを崇拝しながら、私たちは自分の信仰の正当性を告白しているのです。

 

私たち自身も教会の師父に倣って私たちの信仰を守り、私たちの信仰を勉強し、聖師父の著作を読みましょう。それは信仰のことで困惑したり、ぐらついたりせず、私たちの信仰に関する様々な問題に答えられるようにするためです。

 

ゲラシム掌院はダマスクの克肖者イオアンの著作「イコン崇拝についての三つの言葉」の冒頭を参祷者に紹介しました。

 

 

「死者を記憶するときには、祈るだけでなく、憐みの業を行ってもいいのす。」全死者の土曜日

 

3月27日、全死者の土曜日に、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で教区の主管者ゲラシム(シェフツォフ)掌院により、聖体礼儀と、それに続いて死者へのパニヒダが行われました。

 

奉神礼の後、ゲラシム掌院は参祷者に向けた説教の中で指摘しました。教会は死者の記憶日である、全死者のための土曜日を制定しました。それは永眠した人が祈りから取り残されないようにするためです、と。

 

ゲラシム掌院は金持ちとラザリについての譬(たと)えを思い起させました。金持ちは生前宴会を催し、死後には地獄に下りました。目を上げると、アウラアムと乞食のラザリが遠くに見えました。「そして大声で言った。『父アウラアムよ、わたしを憐れんでください。ラザリをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせて下さい。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』しかしアウラアムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザリは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』」

 

 実際、ハリストスがこの世に来るまではそうでした。しかし主は地獄の門を打ち破り、地獄から旧約の義人たちを導き出しました。そして全ての人々に、死後教会の祈りによって人の運命が変えられ、人は地獄から天国へと移行することができるという希望を与えました。

 

この際覚えておいていなければならないのは、この深淵は神以外の誰も通り抜けられないということです。ただ主だけがその御旨によって、あらゆる宇宙の法則を変え、罪を犯した人々を憐れんで下さるのです。

 

まさしくこのような信仰に死者の記憶は基づいています。生きている私たちは、主が教会の祈りによって罪人を赦して下さるように祈るのです。

 

私たちはこの戒めを保ち、死者のために祈らなければなりません。自分の隣人について、さらに力に応じて既に永眠した全ての死者についてです。心の底から自分の隣人を愛した聖人たちは、全世界のために祈っていました。アトスのシルアン長老も「地獄にいる者」のために祈っていました。そして私たちは自分の力に応じてこの祈りに加わらなければなりません。

 

というのも早かれ遅かれ、私たちもそこへ行くからです。そしてどうか私たちのために誰かが祈って下さるように。死者のためのこの祈りの中で私たちは自分についても同様に祈っています。その際死者たちは、もし彼らが正しく生きていたならば、彼らの方から天で私たちのために祈って下さるのです。

 

さらにもう一つ重要なことがあります。死者を記憶するときにはただ祈るのだけではなく、憐みの業を行ってもいいのだ、ということです。乞食に施しをし、困難にある人々を支えるのです。大変多くの孤児院や老人ホームがあります。そこでは多くの人が配慮を必要とし、憐みを求めているのです。というのも主が私たちから要求しているのはただ(死者の)名前を読み上げるだけでなく、隣人を愛することだからです。

 

 

「まもなくハリストスはこの家から去っていくでしょう。一方私たちは中風のまま横たわり続けるのです。」

 

3月28日大斎第二主日、成聖者グリゴリイ・パラマの記憶日に旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で教区の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院によって聖体礼儀が執り行われました

 

掌院はその説教の中でこの日に読まれる聖書の箇所、中風の人について言及しました。

 

あるとき主はある家で宣教していました。そこには大勢の民衆が集まっており、中風の人とともにハリストスに近づくことは出来ませんでした。そこでこの中風の人の四人の友人は機知にとんだ決定をしました。屋根をはがして、救世主の前に直接この病人の人が寝ているベッドを下したのです。

 

ハリストスは、これらの人々の信仰を見て、中風の人に言いました。「あなたの罪は赦される」と。するとそこに臨席していた人たちは心の中で思いました。「彼は神を冒瀆している。なぜなら神以外に誰も罪を赦すことはできないからだ」と。主は彼らの考えを見抜いて言いました。「中風の人に向かって『あなたの罪は赦される』と言うのと『起き上がって自分の床をとり、歩きなさい』と言うのと、どちらが簡単か。しかしあなたたちが「人の子」がこの地で罪を赦す権威があることをあなたたちが知るように」中風の人に言った。「お前に言う。『起きてあなたの床を取り、あなたの家に歩いていきなさい。』」彼はすぐに立ち上がり、床を取り、全ての人の前で出て行きました。それで皆が驚いて、神様を讃美し言いました。「今まで一回もこのようなことを見たことは無かった」と。

 

このようにして主は、彼が罪を赦すことができるお方であるということについて印を与えられました。つまり彼は、神・人、イイスス・ハリストスであることの印を与えられたのです。

 

広義的にはこの譬(たと)えを次のように解釈することができます。中風の人とは私たち全て、人類全てのことです。私たちは自分の罪のために衰弱し、麻痺して床に横たわっています。しかも私たちは自分自身を癒すことができません。しかし主が来て、人類に言いました。「あなたの罪は赦される。だからもうこれ以上罪の中に横たわっていてはいけません。立ち上がなさい。歩きなさい。」

 

人々は立ち上がり、ハリストスの後をついていきました。最良の人々。使徒と彼らのお弟子さんたち。そして私たちはこの使徒の後継者として、同様にハリストスの後をついて行かなければなりません。

 

主は全ての人に呼びかけています。ですから遅れないようにしましょう。痛悔であなたの罪は赦されました。それを捨てなさい。もう二度と過ちを繰り返してはいけません。もしも罪を犯したら、立ち上がって、行き、再び痛悔して領聖しなさい。主は、私たちの努力を見て、私たちに友人を送って下さいます。つまり私たちのために祈って下さる聖人たちのことです。

 

聖人たちのうちの一人、成聖者グリゴリイ・パラマの記憶を今日の主日に祝いました。聖人が存命していたのは、中世、14世紀終わりから15世紀初頭にかけてです。この人物は、古代から伝わるイイススの祈りの実践を裏付ける神学的な仕事をなしました。そして二回の公会で私たちの信仰を守り通したのです。

 

神は己のエネルギーによってこの地上に作用しています。主はこの世に作用し、神の作用のおかげで、私たちにはこの世で神と現実的に一体になる可能性があります。神の被造物は神に加わっていくことができるのです。ハリスティアニンの課題とはまさしく神との一致にあります。

 

私たちも自分の人生で少しでもいいからイイススの祈りを唱えるようにしましょう。イイススの祈りを、テレビを見たり、電話口に座っていたりする代わりとしましょう。時を失ってはなりません。ハリストスは来て、わたしたちは皆まだ生きているのです。というのも、まもなくハリストスはこの家から去っていくでしょう。一方私たちは中風のまま横たわり続けるのです。

 

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