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2021年2月の説教

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佯狂(ようきょう)の苦行は最も困難な苦行の一つです

 

2月6日ペテルブルグの福たるクセニアの記憶日に旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で教区の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院によって聖体礼儀が執り行われました。

 

奉神礼の後、掌院はこの日聖堂に集まった人々に向かって説教をしました。ゲラシム掌院は、福たるクセニアの偉大なる苦行について語りました。クセニアは26歳でやもめになり、己に佯狂の苦行を課したのです。

 

夫を葬った日、クセニアは彼の着物を着て、死んだのはクセニアだ、彼女の夫アンドレイ・フョードロヴィッチは生きているのだ、と言いました。福者は自分をアンドレイ・フョードロヴィッチト呼ぶように人々に頼みました。

 

苦行者は全ての自分の財産、お金を分け与え、寄る辺なき生活を送るようになり、このような生活のすべての困難を耐え忍びました。特にサンクト・ペテルブルグの厳しい気候を知っていれば、このような厳しい苦行がどれほど恐ろしいか、ぞっとすることしかできません。

 

「佯狂の苦行は最も困難な苦行の一つです。彼らは神にただ単に自分の財産や意志ではなく、自分の理性をも捧げたからです」と掌院は強調しました。

 

 福たるクセニアはその苦行ゆえに、まだこの世に生きていながら奇跡を行う賜物を得ました。そして今日でも多くの人が信仰をもって聖人に向かい、彼女の祈りによって頼んだことを叶えてもらっています。

 

今日の福音書で私たちは主の次のような言葉を聞きました。「誰も二人の主人に仕えることはできません。一人を憎んで、もう一人を愛するか、もしくは一人に熱心になって、もう一人をないがしろにするかどちらかです。」

 

私たちはしばしば両方に使えようとします。一方では私たちは聖堂に通い、痛悔をし、領聖をしますが、他方ではこの世の温かさを得、居心地がいいように自分の周りを整えたりしようとします。私たちは主のために、自分の便利さ、自分の平穏、自分の習慣を犠牲にする用意ができていません。

 

ですから、私たちには福たるクセニアの例が大切なのです。完全に自分をハリストスに与えた人の例です。そして彼女の伝記を読み返しながら、私たちは自分自身神の戒めに従い、主のために自分の執着を犠牲にするように努めなければなりません。私たちを待ち受け、そして滅ぼす妥協の道を行くのではないのです。そして福たるクセニアの祈りによって、憐れみ深き主が私たちを確かなる救いの途上で強めてくださるように、彼女に祈りましょう。

 

 

私たちの命の塩

 

2021年2月7日、聖神降臨祭後第35主日、ロシア教会の新致命者、表神者たちの会衆祭に、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で教区の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院により聖体礼儀が執り行われました。

 

ゲラシム掌院はそのお説教の中で新致命者の苦行について人々に語られました。成聖者アファナシイ(サハロフ)についても語られました。彼は長年、ソロヴェツや白海・バルト海や、オネガなどの強制収容所で多くの年月を過ごし、その美しさで驚嘆すべき、ロシアの地に輝き出でし全諸聖人の祭日の式次第を編集し、ロシア教会の新致命者・表神者の会衆祭で私たちが使っているスティヒラを著作した人です。

 

ゲラシム掌院は、新致命者について語りながら、強調しました。「これらの人々は最も苦しい試練を通り抜けた人々です。

 

これらの人々は聖書の言葉を行いで実行しました。彼らは単に自分の信仰を表明しただけではなく、自分自身の血によって、自分自身をハリストスに委ねた、その人生そのものをもって刻印したのです。そして彼らは私たちに「忍耐」という遺訓を残したのです。

 

もしも私たちが自分を彼らの子孫であると見なすのなら、同様にハリストスへの信仰を守るように努めなければなりません。この世が毎分私たちに勧めている妥協の道を行くのではないのです。私たちの信仰を守るということは、私たちの人生、ハリスティアニンの人生の中でもっとも重要なことです。

 

ゲラシム掌院は説教の中で言いました。「私たちの信仰、これは文章ではありません。これはハリストスと共にある人生なのです。これはハリストスと結合することです。これは戒めを守ることです。これは神への信頼です。これは神への忠誠です。これは私たちの命の塩でもあるのです。」

 

私たち一人一人が、私たちの信仰の土台が深いかどうか、私たちの生涯の困難な時に堅固でいられる用意があるか、より頻繁に考察することが大切です。あらゆる熱意をもって、私たちの慎ましい力の及ぶ限り、神の戒めを守らなければなりません。忍耐し、しっぺ返しをせず、獣にならないことです。善行を行い、このようにして私たちの信仰を強めるためのあらゆる機会を利用しましょう。

 

 

皆さん、お互いに妬み合うのはやめましょう。

 

2月12日旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で教区の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院により聖体礼儀が執り行われました。

 

「今日私たちは三人の偉大なる教師、成聖者大ワシリイ、神学者グリゴリイ、金口イオアンの記憶を祝います」ゲラシム掌院はこう指摘して、説教を始めました。

 

成聖者、金口イオアンと大ワシリイは聖体礼儀の著者であり、神学者グリゴリイはパスハの前の沈黙の後、ハリストスへの復活の讃歌を書いた人物です。

 

三人の成聖者の記憶は同じ日に制定されました。有名な話があります。当時彼らの信奉者たちの間に、三人のうち誰がもっとも偉大かという論争が起こりました。

 

しかし私たちが常に覚えていなければならないのは、天の国ではお互いの間で競争などはしないということです。聖人たちは欲望から清められています。この欲望の中で最も危険なものの一つは妬みです。

 

聖人たちはその生涯にかけて誰をも妬まず、全ての人々を愛し、全ての人が救われるのを助けました。聖人は生者だけでなく、死者のためにも祈っていましたし、今も祈っています。そして生者も死者も皆神の目の前には価値があるのです。ちょうど皆さんと私たちのように。それゆえ主は私たち全員を忍耐しているのです。

 

主は、私たちに与えたタラントを地の中に埋めないようにと待っていらっしゃいます。そして天の国への途上で私たちが力を落とさないように、待っていらっしゃいます。その際に、もちろんこの苦労の多い人生において私たちを支えて下さっているのです。

 

皆さん、私たちの間に妬みが無いように、逆にただ愛があるように、努めましょう。私たちも同様に天の国に遅刻するのを恐れながら、道中に留まり、つまずいたり、倒れたりした人々を助けるように努めましょう。私たちの隣人を支え、互いに妬み合うのはやめましょう。

 

 

神様の約束はすべて必ず成就します。神様を信頼しましょう。そうすれば主は私たちを見捨てません。

 

2月15日、主の迎接祭に、コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で、教区の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院により聖体礼儀が執り行われました。

 

奉神礼が終わると、ゲラシム掌院は祭日に集まってきた全ての人々にお祝いの言葉を述べられました。

 

「総主教聖下の書簡で正しく述べられているように、主の迎接祭で旧約と新約が出会うのです。」掌院は指摘しました。

 

掌院が特に強調したのは、義なるシメオンには神からの約束があったということです。つまり彼はハリストスを見るまでは死なない、という約束です。そしてこの約束は成就しました。シメオンはハリストスを見ました。しかし重要なのは、神の約束は全て成就するということです。福音書の中で言われていることは全て必ず、時が来れば実行されるのです。ただ時として私たちは待たなければなりません。

 

私たちはしばしば待ちたくありません。疲れてしまいます。小心に陥ってしまいます。しかし落ち込む必要はありません。信仰をもって、神様を信頼することが大切です。

 

ゲラシム掌院の意見によれば、私たちの願いがすぐに叶えられないことは、時として私たち自身に原因があります。要は、主は特別に私たちを試みておられるわけではありません。そうではなく、私たち自身に賜物を受ける準備が出来ていないのです。私たちの意志は神様の意志と矛盾することがあります。そして時として主ご自身が、私たちを待たなければならないのです。その反対ではありません。

 

主は常に賢明に事を行います。主は絶えず私たちの心を変え、新しい命へと準備させます。そして決して人間を嫌な目に合わせません。そして、私たちが簡単に手に入れたことは、私たちは評価しない、ということを私たち自身が知っているのです。ですから願っていることを得るために多くの努力を重ねる時、私たちは大変喜ぶのです。

 

しかし、人生で何が起ころうとも、絶望するのはやめましょう。神様を信頼しましょう。そうすれば主は私たちを見捨てません。

 

 

亜使徒日本の大主教ニコライの記憶日に、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で、日本語で奉神礼が行われました。

 

2月15日夕方、2月16日朝、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で、教区の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院により教会スラブ語と日本語で徹夜祷と聖体礼儀が執り行われました。

 

 2月16日、教会は日本人の光照者亜使徒日本のニコライの記憶を祝います。神品致命者ウラシイ聖堂の主管者ゲラシム掌院の活動も日本と密接に繋がっています。ゲラシム掌院は14年間東京の復活大聖堂で聖務を行っていました。

 

 ゲラシム掌院と共に、ニコロ・ウグレシュスキイ修道院の転院イオアン(ルビン)師、至聖三者セルギイ大修道院の修道司祭エヴドキム(ノヴィコフ)師が陪祷しました。

 

 この特別な祭日に、M.V.ロモノーソフ名称モスクワ大学日本学科、「日の出づる国」(日本)の勲章受章者のヴィクトル・ペトローヴィッチ・マズリク教授と、日本の歴史や文化に関心のある人々が聖堂に参祷しました。

 

 共同通信社代表者根本氏とNHK放送局の代表者茶園氏も参加されました。

 

 奉神礼が終わると、ゲラシム掌院は、この日に日本の偉大なる光照者亜使徒聖ニコライを敬うために集まった人々全てに感謝の言葉を述べられました。

 

 ゲラシム掌院は指摘しました。「日本のニコライは、1861年日本の国にとって大変困難な時期に日本に来ました。日本の天皇制復興までの数年間はキリスト教の宣教活動が禁止されていました。しかし聖ニコライは純粋で勇気のある人物でした。彼はただロシア国民のための司祭だけではなく、日本人を光照するために熱心に日本語を勉強しました。特筆すべきことは、最初に聖職者になったのは、日本人のサムライ、剣術の教師、キリスト教徒に対する最も残酷な敵の一人であった澤邉であったことです。そしてかつての使徒パワェルのように、澤邉も亜使徒ニコライによってキリスト教に改宗し、神の言葉の宣教師となったのです。」

 

 聖ニコライは日本に50年以上住みました。彼は事実上日本自治正教会の創立者です。彼が活躍している時期に新約聖書と一年の奉神礼書が日本語に翻訳されました。4万人以上の人々が洗礼を受けました。そして約200もの教区が開かれました。

 

 「聖ニコライのミッションはまだ終わっていません。日本人には神の言葉が必要です。私たちも皆さんと共に聖ニコライの事業の後継者とならなければなりません。異教日本が正教日本になるように皆でお祈りしましょう。」掌院はこう締めくくりました。

 

 

善行によって自画自賛しないようにしましょう

 

2月21日税吏とファリセイの主日、聖大致命者フェオドル将軍(ストラティラト)の記憶日に、教区の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院が聖体礼儀と洗礼機密と小聖水式モレーベンを行いました。

 

奉神礼の後、ゲラシム神父は教会の新しいメンバー、神の僕フェオドルに洗礼のお祝いを述べ、皆に紹介しました。フェオドル兄は今日記憶して祝った聖大致命者フェオドル将軍(ストラティラト)にちなんで洗礼を受けました。

 

ゲラシム掌院はその説教の中で、この日曜日から大斎への準備週間が始まることを述べられ、税吏とファリセイについての譬(たと)えが何を意味しているかを語りました。

 

祈りを捧げるために聖堂に二人の人がやってきました。税吏とファリセイです。彼らのうちの一人、税吏はローマ帝国の権力の手先で、人々からお金を巻き上げ、税金を徴収していました。

 

他の一人、ファリセイは大変敬虔な人物で、モイセイの律法の戒めを全て行っていました。

 

ですから、もちろん一見これらの人々を見れば、彼らのうちのどちらが神の前で正しく、どちらが罪深いかは明白です。

 

今日「ファリセイ」という言葉は「偽善者」と同義語の非難の言葉となりました。しかし、以前は、ファリセイは熱心に掟を行う人たちであり、熱心に神の戒めを行う人達でした。彼らは一つも欠けることなく神の戒めを守ろうとしていました。このファリセイの行動は、特別な道徳的な意義を持っていました。しかし残念なことに、ハリストスの時代になるとファリセイ主義は後退していったのです。そして、人々は外面的には戒めを守るけれども、内面的にはすでに汚れに満ちており、これらの人々の心は遠く神から離れてしまったのです。

 

この譬えでは、ファリセイは神の前で自画自賛します。一方で税吏は自分の罪深さを認めて、自分の胸を打ち叩き、懇願したのです「神よ、我罪人を憐み給え。」

 

そして主は、当時にとっては全く逆説的なことがらを述べています、つまりこの二人のうち、より義とされて聖堂を去ったのは、自分の汚れを自覚した罪人の方だ、ということです。「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(マトフェイ23章12節)

 

主は一度ならずこの思いを強調しています。

 

この譬えは、私たちを正しく調律するものです。この譬えが私たちに教えているのは、善行によって自画自賛しないように、ということです。主は私たちをも同様に招いでおられます。つまり私たちが形式的な事柄に束縛されないように、ということです。そうではなく、自分を完全に神へと委ねるように。私たちの隣人たちを卑しめないように、ということです。なぜなら主は、ただ私たち一人一人の心の中に何があるか、ということをご覧になるからです。時として、私たちが偉大なる罪人だと思っている人物が、主の目の前ではすでに義とされているのです。

 

そしてこの世も、私たちが清まっていく度合いに応じて、私たちの周囲で変わっていくのです。

 

皆さん、大斎を目前とした今、自分を次のように整えましょう。ファリセイのように全ての戒めを守ること。そして税吏のような心を持つこと。誰をも裁かないこと。自分自身だけを裁くこと。私たちの周りにいる人々を極力義として、支えることです。

 

 

 

 

 

 

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