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2020年12月の説教

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成聖者フィラレトは常に前もって説教の準備をしていました。

 

12月2日モスクワ及びコローメンスコエの府主教、成聖者フィラレトの記憶日に旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂でゲラシム(シェフツォフ)掌院により聖体礼儀が執り行われました。

 

ゲラシム掌院はその説教の中で指摘しました。「アナロイ(イコンや祈禱書を置く台)の上だけでなく、私たちのイコノスタスにも成聖者(主教職の聖人の称号)フィラレトの大きなイコンがあります。その中でフィラレトは私たちの神品致命者(聖職者で殉教した聖人への称号)ウラシイ聖堂と共に描かれています。伝承によれば、成聖者は私たちの聖堂にとって、単にモスクワの主教職だけでなく、恩賜を施し、教会にイコノスタスを賜った方でもあるのです。このイコノスタスに今日に至るまで神品致命者ウラシイのイコンが残されています。」

 

成聖者フィラレトは才能豊かな人物でした。彼は神の真実の奉事者、神の真実の主教職の見本でした。彼は若い時から老年に至るまで、時として災を経験しましたが、決して自分の良心に反して行動することはありませんでした。

 

成聖者は、たとえ不義が権威者から出たものであっても、決して不義の前に譲歩することはありませんでした。一度彼は皇帝ニコライ一世自身に対しても、皇帝が凱旋門を成聖してくれるように頼んだ時に、それを拒みました。というのは凱旋門には様々の異教の神々が描かれていたからです。

 

このことをニコライ皇帝は微笑んで言いました。「私はペトル大帝ではありません。そしてフィラレトはミトロファンではありません。」思い出しましょう。ペトル一世の時にも同様の出来事がありました。成聖者ミトロファンは異教の絵が描いてあるペトルの宮殿に入ることを拒んだのです。ちなみに成聖者フィラレトの精神性は成聖者ミトロファンの精神性に近いものがあります。

 

成聖者フィラレトの権威は非常に高かったので、ロシアの皇帝たちも彼を評価し、彼の堅固さと勇気を尊敬していました。

 

モスクワにコレラの伝染病が流行った時に、成聖者フィラレトは主が町を憐れんで下さるように祈りました。そして十字行(十字架やイコンをもって聖堂の外を練り歩く)を行いました。ニコライ一世はこの恐ろしい時期にモスクワを訪れ、(ちなみにプーシキンもこのテーマについての詩を書いたほどです。)とりわけ成聖者に、十字行は危険ではないか、と尋ねました。というのもこの場合多くの人が一同に集まるからです。

 

フィラレトは答えました。「十字行の後での感染者の数はより少なく、逆に十字行をする前の日々よりもいくらか少ないのです。」そしてニコライ皇帝は十字行を中止しませんでした。これは私たちの時代の人々のためにも考察するきっかけとなることでしょう。

 

成聖者フィラレトには国家の重要な仕事が任されていました。まさしく彼にアレクサンドル二世は農奴解放令を作成するように依頼しました。彼の筆を信頼したのです。彼は卓越した説教者として有名でした。成聖者は常に自分の説教を書き、そしてその後で読みました。決して即興的には言いませんでした。

 

彼は一つ一つの仕事を大変注意深く、慎重に検討しました。彼の反応は見本となります。成聖者は常に神の前で自分の良心のうちに立っていたのです。

 

***

 

イオアキムとアンナの偉業を眺めて、私たちは自分を教育しなければなりません。

 

2020年12月4日、至聖なる女宰、我らの生神女(神を生んだ女)、永貞童女マリヤの進堂祭(聖母マリヤが3歳の時に神殿に預けられたことを記念する)の祭日に、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂でゲラシム(シェフツォフ)掌院により聖体礼儀がとり行われました。

 

奉事の後ゲラシム掌院は参祷者にお祝いの言葉をのべ、教会のこの十二大祭は特別なものであることを指摘されました。つまり教育の祭日です。

 

この日処女マリヤは神の宮に進堂し、彼女が果たさなければいけない偉業、つまり神人なるイイスス・ハリストス(イエス・キリストのギリシャ語、ロシア語読み)を生んで教育するという偉業に備えます。至聖なる生神女は神・子の籍身(せきしん、受肉)のために主が選んだ器なのです。

 

本性においては至聖なる生神女も私たちと同様です。しかし教育のおかげで、彼女は、主が彼女の処女の胎を厭わないで、彼女に下り、肉体を取り、人となるほどの魂の清らかさに到達したのです。

 

この日、私たちは同様に処女マリヤの両親、義なるイオアキムとアンナをも敬います。彼らは唯一無二の教育者となりました。彼らは生神女に彼女の魂の非凡ならぬ美しさを形成する性質を身に着けさせることができ、彼女が至聖にして、至って讃美たる、至潔なる神の母と呼ばれる根拠を与えたのです。

 

教育というのは一人一人の人間にとって大変重要な特質です。そして単に子供に対してだけではなく、大人に対してもそうなのです。私たち皆に多くの欠点があり、私たちはそれから免れなければなりません。イコンの前に立って主に祈る際に恥ずかしくないようにするためです。

 

イオアキムとアンナの偉業を眺め、私たちは自分を教育しなければなりません。周囲の人々を教育するだけでなく(というのは、これはより簡単でしょうから)、自分自身を教育するのです。そしてこれは日々の努力です。旧習と言ってもいいでしょう。

 

今は降誕祭の準備をする降誕祭の斎(ものいみー食べ物、罪、欲望を節制する)です。ちょうど2000年前に博士たちが神の嬰児ハリストスに賜物を持って来たように、私たちもこの世に来られた救世主に自分の清らかな魂を捧げ持って来なければなりません。

 

皆さん、斎の時期に自分を教育しましょう。私たちの教育者は至聖なる生神女、その記憶日に私たちが祝う聖人たち、日々聖書を読むこと、厳格にお祈りすること、力に応じて斎することです。

 

そして主は私たちの熱意をご覧になり、私たちの救いの途上において私たちを迎えて下さるでしょう。

 

***

 

民衆と教会への奉仕、これが神の前で豊になることです。

 

12月6日、義徳大公アレクサンドル・ネフスキーの記憶日に、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂でゲラシム(シェフツォフ)掌院により聖体礼儀が執り行われました。

 

奉神礼の後の説教で、ゲラシム掌院は義徳アレクサンドル・ネフスキー公の人生と偉業について語られました。ゲラシム掌院が強調したのは、「聖アレクサンドルはルーシが東方と西方から圧力を受けていた困難な時代に生きていた」ということです。「もちろん西方の残虐者は、ただただウラジーミルの死に痛手を受けていたルーシの弱体化を利用しようとし、キエフは廃墟となっていました。しかしアレクサンドル公はへつらってカトリックに移行するという協定を結ばず、正教を守り抜きました。

 

ちなみにちょうど200年後ギリシャ人たちはカトリックとの連合に署名しました。それは西欧諸国連合の助けを期待していたからです。そして信仰を裏切ったことで彼らはビザンチン帝国の崩壊を迎えたのです。

 

義徳アレクサンドル公は、義なる軍人フョードル・ウシャコーフのように、どのような会戦でも敗北しませんでした。彼は同様に政治的にもたけ、モンゴルとの相互関係の協定に著名することができました。その際、モンゴルに最後に行った時に、公は毒殺される可能性があったのです。

 

しかし彼が列聖されてあがめられたのは素晴らしく戦かったとか、外交の才があったからではありません。そうではなく彼は自分の生涯の中で福音を「実現した」からです。

 

ゲラシム掌院は、聖体礼儀で読まれた福音の言葉、愚かな金持ちについてのたとえを思い起こさせました。

 

「それから、イイススはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」(ルカ12章16-21節)

 

ゲラシム掌院は、このたとえの意味を主がその最後の言葉の中で説明していることを指摘しました。「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

 

聖アレクサンドル・ネフスキーは全生涯にわたって神の前に豊かになりました。つまり自分の利益のためではなく、民衆と正教会の信仰を庇護するためにロシア人を統率したのです。

 

義徳なる公たちはまれにみる聖性をもった聖人たちです。聖人に列聖されたのは、全生涯を自分の民衆の庇護と正教会のために捧げた人々です。

 

民衆と教会への奉仕、これが神の前で豊になることです。

 

このように私たちも義徳なる公たちの偉業、聖アレクサンドル・ネフスキー公の偉業に倣うように自分でも努力しなければなりません。同様に神と教会と私たちの民衆に仕えなければなりません。聖使徒パワェルの言葉によれば、この位に私たちは召されているのです。

 

***

 

私たちはその生涯において処女マリヤに倣わなければなりません。

 

12月10日、「印」という名前の神の母のイコンの記憶日に旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で、教会の主管者であるゲラシム(シェフツォフ)掌院によって聖体礼儀が執り行われました。

 

ゲラシム掌院は民衆に、古い奇跡のイコンについて、祭日の歴史についてご自分の言葉で語りました。

 

1170年スズダリは同盟国と共にノヴゴロドを包囲しました。町中が救われるように祈っていました。ノヴゴロドの大主教イオアンは町の城壁に神の母のイコンを持ち出しました。敵の矢の一つが生神女の顔に命中しました。すると彼女はあたかも攻撃する人々から背いたかのようでした。その時敵は恐怖に襲われ、彼らは互いに殺し合い始めました。このようにしてノヴゴロドの住民は救われたのです。

 

ゲラシム掌院は、「印」というイコンの名前はただ単にノヴゴロドの住民が救われたことと関係しているのではなく、神の籍身の印とも関係しているということを強調されました。

 

掌院は同様に生神女ご自身が私たちの救いの「印」であることを強調されました。私たちは神の母の偉業について何度も語ってきました。彼女はその生涯において多くを耐え忍びました。彼女が十字架に磔(はりつけ)にされた「我が子」を見た時に、「剣が彼女の心を刺し貫きました。」しかし、その後、主が復活した時には、生神女は大いなる慰めを得たのでした。福音書ではこのことは語られていません。しかし伝承によれば、主は復活後至聖なる処女に現れました。彼女を慰め、彼は復活し、全人類を復活させたということを示しました。

 

「印の生神女」これは古い奇跡のイコンです。多くの聖堂がこのイコンにちなんで建築されました。そして私たちはこのイコンの前で祈っています。神の母に感謝しましょう。彼女の前に伏して、彼女がその子(イイスス・ハリストス)に嘆願し、ハリストスが私たち全てを憐れんで下さるように、彼女の聖なる祈りを呼び求めましょう。

 

説教の終わりに主管者(聖堂の管理者、ここではゲラシム掌院)は言いました。「私たちはその生涯において処女マリヤに倣わなければなりません。そして自分のうちにハリストスを受け入れなければなりません。それは、主が私たちの心に生まれるためです。それは、私たちが主から決して離れないためです。私たちが聖体礼儀で領聖する度に私たちは自分の魂という宮にハリストスを受け入れているのです。そして領聖の実を大切に保たなければなりません。この恩寵は私たちの生活の行いを成聖し、これによって私たちがハリスティアニンとして成長するのを助けるのです。

 

***

 

主日の説教で主管者は使徒アンドレイの生涯と偉業について語られました。

 

12月13日初召者(主イエス・キリストに初めて召命された)使徒アンドレイの記憶日に、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で、教会の主管者のゲラシム(シェフツォフ)掌院により聖体礼儀が執り行われました。

 

ゲラシム掌院はその説教で、使徒アンドレイの生涯と偉業について語られました。このハリストスの弟子は初召者と呼ばれています。なぜなら救世主が初めて使徒職に召した人だったからです。

 

イオアンによる福音書で、彼は授洗イオアンの弟子であったことが言及されています。預言者、前駆、そして主の洗礼者イオアンはイオルダンに来るハリストスを見て彼についてこう言いました。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ。」(イオアン1:29)使徒アンドレイは前駆イオアンのこれらの言葉の証人でした。

 

まさしく使徒アンドレイが自分の肉親の兄弟であるペトルにハリストスに従うように呼びかけました。このようにして彼らは最初のお弟子さんたちになったのです。

 

そしてまさに使徒アンドレイがギリシャ人たちを主のもとに連れて来ました。

 

聖神降臨祭後、ハリストスのお弟子さんたちはくじをひいて、全ての民のところに行って福音を伝えるための各自の領土を割り振りました。使徒アンドレイが当たったのは黒海の北側、今の北トルコの領土でした。

 

ロシアの年代記には、アンドレイがキエフやノヴゴロドにまで宣教旅行をしたと書かれています。

 

生涯の終わりに、使徒アンドレイは致命の死を受け入れました。有名なアンドレイの旗にはアンドレイの十字架が描かれています。この苦しみを与える道具の上で使徒アンドレイは死を遂げたのでした。

 

彼の肉親の兄弟使徒ペトルが語ったところによると、使徒アンドレイは救世主と同じように磔にされるのはふさわしくないから、頭を下にして磔にしてくれるように頼んだということです。

 

これらの人々は自分の全生涯、自分の全力、自分の心の志向全てを、真理と、ハリストスの復活についての喜びを他の人々と分かち合うようにと、定めました。彼らは地にいる人々に豊かに恩寵の光を放ち、民衆の信仰を強めるために、多くの奇跡を行いました。

 

私たちも同様に絶えず自分の心を検証しなければなりません。私たちは何に向かっているか。この世か、ハリストスか。というのも罪、これは私たちの心に根差している欲望の小枝なのです。最も危険な植物、これは神に対する私たちの愛を邪魔するこの世への愛なのです。

 

みなさん、神様を愛し、祈るように努力し、福音書を読みましょう。一方で主は私たちの背丈の低い信仰に水をやり、この背丈の低い信仰が、鳥がさえずるほどの大きな木に成長するようにしてくださることでしょう。

 

***

 

私達の信仰とは何か。神品致命者ウラシイ聖堂での成聖者ニコライ祭

 

12月19日ミラリキヤの大主教奇跡者・成聖者ニコライの記憶日に旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で教区の主管者掌院ゲラシム(シェフツォフ)氏によって聖体礼儀が執り行われました。

 

ゲラシム掌院はその説教の中で成聖者ニコライについて、私達が成聖者を「信仰の則(のり)、温柔の模(かた)、節制の教師」と呼んでいることについて話しました。

 

主管者は聴衆者に向かってこう言いました。「『信仰の則』とは何でしょうか。」ゲラシム掌院は自分の問いかけにこう答えました。「これは、いかに信じるべきか、という模範です」と。

 

掌院は続けました。「私達の信仰とは何でしょう。信仰、これは単なる頭の知識ではなく、私達の人生を現実的に満たすものです。」ゲラシム掌院は強調しました。「これはつまり、私達がいかにハリスティアニンとして振る舞うかということです。私達は福音にそって生きているでしょうか、生きていないでしょうか。もしそのように生きているなら、つまり信じているのです。もしもそのように生きていないのなら、信じていないのです。」

 

私達が福音書の中で見いだす最も重要なものとは何でしょうか。私達の救いのためにどのようにハリストスに従っていくべきでしょうか。私達のために主がなされたもっとも重要なこととは何でしょうか。主は私達のために「捧げ尽くした」のです。主は身をとって、世界の救いのために人となり、十字架の苦しみを受け、私達のために死なれたのです。

 

一人一人のハリスティアニンがこのように行動しなければなりません。神様のために、隣人のために自分を捧げ尽くすことです。求めているものを隣人に与え、自分自身を他人に与え、悪い行い、私達を神から遠ざけるものから節制するのです。ハリストスと共に死に、しかし永遠の死ではなく、来世の救いのために死ぬのです。来世の復活のために死ぬのです。というのは、種も芽が出る前に死ぬからです。その後に多くの実を結ぶためです。

 

成聖者ニコライは全生涯神のため、人々のために「捧げ尽くしました」彼は神の戒めに従い、多くの人々を助けたのです。

 

成聖者ニコライは他の人々を救うために一度ならず命の危険を冒(おか)しました。なぜなら真のハリスティアニンは何も恐れないからです。というのも彼は常にハリストスと共に死ぬ用意ができていたからです。

 

もし私達が自分を哀れに思い、この地上で良い暮らしをしたいのなら、世界にとって私達は模範とならないでしょう。もし私達が救われたいのなら、成聖者ニコライを自分の教師としましょう。自分の友としましょう。そしてハリスティアニンの名前を持つにふさわしくなるために、彼の例に従っていくように努めましょう。

 

***

 

 いかにして私たちは神に感謝できるでしょうか。

 

聖神降臨祭後第28主日、12月20日、メディオランの主教成聖者アンブロシイの記憶日に、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で、教区の主管者ゲラシム(シェフツォフ)掌院により聖体礼儀が執り行われました。

 

主管者はその説教で、この日曜日に読まれた、10人のらい病患者をハリストスが癒した出来事について語りました。

 

ゲラシム掌院は次のように指摘しました。私達の時代は、幸いなことに、らい病というのがどういうものかを知っている人は多くはありません。この病気になると、人は生きながら腐ってしまいます。病人の全身が潰瘍に侵されます。ですから救世主がらい病患者を癒したことは全ての人にとって明らかなる、眼に見えることでした。潰瘍に苦しむ人が、突如として清まったのです。

 

そして(清まった)十人のうち、ハリストスに感謝するために帰ってきたのはたった一人でした。

 

この話が私達に語っているのは、いかに神に感謝することが大切かということです。私達は神から絶えず恩恵を受けています。主は私達に命を与えて下さいました。健康を与えて下さいました。絶えず私達の罪を赦して下さっています。ご自身がこの地の私達のところへ来て、多くの癒し、多くの奇跡を行いました。しかし苦しみに引き渡され、十字架上で恐ろしい苦難を耐えられたのです。全ては私達の救いのためです。

 

聖体礼儀の後掌院は、私達がすべての事を神に感謝する祈りを唱えました。「エフハリスティア」「聖体機密」という名前自体が「感謝」と訳されます。そうです、私達は全てのことを神に感謝しましょう。

 

しかし感謝というのは単に神にありがとうと言うのではありません。もちろん言葉も同様に重要です。しかし感謝の言葉というものの他に、常に私達に恩を施す人の前で、ある種の義務もあるのです。もしも私達を、私達の上司や友人、隣人のうちの誰かが助けてくれたら、この人に何らかの形でお返し、恩返ししなければならない、という感情を抱くでしょう。行いで彼に感謝するのです。

 

では私達はどのように神に感謝したらよいでしょう。もちろん戒めを守ることによってです。

 

主は言われています。「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する人である」(イオアン14:21)

 

私達の全生涯は神への感謝であるべきです。

 

そして今日私達はメディオランの主教成聖者アンブロシイの記憶を祝いました。彼は私達にとってこのような人生の模範なのです。 

 

***

 

「それでもやはり嬉しいのは、まさにあなたによって神が耕したということです。」

長司祭ティモフェイ・ゴンタル氏の永眠後四十日目のパニヒダ

 

12月24日、長司祭ティモフェイ・ゴンタル氏の永眠後40日目に、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で、教区の主管者ゲラシム(シェフツォフ)掌院が永眠した聖職者のためのパニヒダ(死者のための祈祷)を行いました。

 

ティモフェイ・ゴンタル長司祭は長い間、隣の聖堂であるモギリツィの至聖なる生神女就寝聖堂の主管者でした。

 

パニヒダの後、ゲラシム掌院は集まってきた人々全てに共にお祈りを捧げることができたことを感謝しました。その際ゲラシム掌院は、個人的には永眠したティモフェイ長司祭と面識はなかったけれども、彼について多くの善き事を聞いている、と指摘しました。つまり彼は善き牧者で、生涯の終わりまで神の宝座のもとに立っていたというのです。

 

「(日本の)ニコライ大主教はその永眠の直前にセルギイ主教との対話で次のように語りました。『はたして百姓が畑を耕す犂(すき)に何か功績はあるでしょうか?はたして犂はこのように誇れるでしょうか。『正教徒の皆さん、私がしたことをご覧ください。』よく耕されています。はたしてこのように言う人はいるでしょうか。『犂はよく耕しました』皆言うでしょう。『でかした、旦那さん。上手に耕しましたね。』ここでも同じです。ニコライ。セルギイ。わたしたちの役割は犂以上のものではないのです。百姓は耕しました。犂は古びました。百姓は犂を捨てました。私も古びたのです。私も捨てられます。新しい犂が耕し始めるのです。さあ、見なさい、耕しなさい!忠実に耕しなさい!倦むことなく耕しなさい!神の業が成長するように!それでもやはり嬉しいのは、まさにあなたによって神が耕したということです。つまりあなたはまだ錆びついていないのです。つまり神の畑での仕事によって、あなたの魂も少しばかり清まったのです。私達はこのことを常に神に感謝しましょう。』

 

ティモフェイ長司祭は主が耕したそのような犂でした。そしてこの畑にはすでに実を結ぶ多くの穂が成長しています。

 

おそらく全ての聖職者の夢は神の宝座のもとで死ぬということでしょう。ちょうどティモフェイ長司祭のように。彼はその生涯の最後の日々まで、離れることなく宝座の前にいて、このような最期を遂げることができたのです。

 

地上の教会と天上の教会は見えずして結ばれています。私は信じています。今日私達だけが永眠者のために祈っているのではなく、ティモフェイ神父も善き牧者として神の前で私達のことを祈って下さっているということを。

 

***

 

聖堂の主管者ゲラシム掌院が、致命者エウストラティイ、マルダリイ、オレストの生涯から興味深い事実を語って下さいました。

 

12月26日に、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で、教区の主管者ゲラシム(シェフツォフ)掌院により聖体礼儀が執り行われました。

 

 この日教会では致命者エウストラティイ、アウクセンティイ、エウゲニイ、マルダリイ、オレストの記憶に敬意を表します。彼らはディオクレティアヌス帝の時にセヴァスティアとアルメニアで受難しました。

 

ゲラシム掌院はその説教の中でこれらの聖人たちの生涯から多くの興味深いことを語って下さいました。

 

致命者エウストラティイは軍の司令官でした。昇格するまで職務を続けており、学識があり、皆から尊敬されている人でした。迫害が始まると、彼は自分がハリスティアニンであることを告白して、苦しみに会いました。

 

彼を死刑にするために聖人は故郷に連れてこられました。このようにして、信仰を同じくする人々を恐れさせるためです。しかし彼らのうちの多くがハリストスに向かいました。その中に私達が記憶した致命者マルダリイがいます。

 

マルダリイは平凡な農民でした。特筆すべき事実があります。行列を見ようとして彼は自分の家の屋根によじ登ったのです。ちょうど、かつて民衆にかこまれたハリストスが通り過ぎるのを見ようとして木によじ登ったザクヘイのように。

 

マルダリイにとってエウストラティは輝く星のように見えました。マルダリイは自分の妻に言いました。「ご覧、なんと偉大な人だろう。一方で私はなんと罪人なんだ。」これに答えて妻は言いました。「あなたが彼の後に従うのを邪魔するものは何もありません。」こうしてマルダリイはエウストラティの後に従ったのです。

 

致命者マルダリイは聖体礼儀の前の三時課の終わりに読まれる祈祷を残しています。「主宰神父全能者主獨生の子イイススハリストス及び聖神唯一の神性唯一の能力や我罪人を憐み爾が知る所の法を以て我不當の僕を救ひ給へ。蓋爾は世々に崇讃めらる「アミン」

 

他の致命者オレストは高位の力強い軍人でした。ある時地元の軍の司令官が検査を行いました。オレストは槍をすてました。この動作の際に、胸のシャツの下から十字架が落ちました。それで彼がハリスティアニンだと分かったのです。

 

エウストラティとオレストはセヴァスティアに連行されました。ここで私達の聖堂が記念している神品致命者ウラシイが、受難の前の最後の夜にエウストラティのもとへ来たのです。

 

致命者エウストラティの最後の祈りが残されていいます。それは土曜日の夜半課で読まれます。

 

「主や我爾を讃揚げ爾を讃揚ぐる蓋爾は我が卑微(いやし)きを顧み我を敵の手に囲ましめずして我が霊(たましい)を危難(あやうき)より救ひ給ひしによる主宰や願(ねがわく)は今も爾の手は我を覆ひ爾の憐みは我に臨まん蓋し我が霊は乱れて我が不當にして穢(けが)れたる此の肉体より離るるを以て憂ひとなす恐くは敵の凶悪なるくみは之を迎へ斯の世に於いて我が犯しし知ると知らざる罪の為に之を闇冥(くらやみ)に仆(たお)さん主宰や憐みを我に垂れ給へ願は我が霊は凶悪なる魔鬼の怒れる眼(まなこ)を視ず乃ち光明にして輝きたる爾の使(つかひ)等に受けられん爾の聖なる名の光栄を顕し爾の力にて我を爾の妙(たへ)なる審判所に上(のぼ)し我が審判せらるる時斯の世の君の手に我罪人を捕らへて地獄の淵に陥いれしめず乃ち爾は我に臨みて我を救ひ我を守る者となり給へ。蓋し此の肉体の苦しみは爾の僕の為には楽(たのしみ)なり主や斯の世の慾(よく)に汚されたる我霊を憐れみ之を罪の認めと悔みにて清められし者として受け給へ蓋爾は世々に崇讃めらる「アミン」

 

***

 

「主が私達を、体が不自由な人、足が不自由な人、目が見えない人の中から呼んで下さるように、期待しましょう」

 

12月27日、聖神降臨祭後第29主日、聖列祖の日に、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で、教区の主管者ゲラシム(シェフツォフ)掌院により聖体礼儀が執り行われました。

 

主管者は全ての人に主日と聖列祖の記憶日のお祝いを述べました。

 

ゲラシム掌院は説明しました。「聖列祖、これは全人類の祖先です。単にユダヤ民族の祖先だけでなく、肉体におけるハリストスの祖先というだけでなく、私達全ての祖先なのです。これは列祖アダムとエヴァ、ハリストスが世に来る準備をした預言者たちです。その忠実なお顔をもって彼らはイコノスタスの最上列から私達を眺めています。」

 

この祖先と聖列祖の務めの栄冠は至聖なる生神女の誕生です。肉体においては彼女から私達の主は生まれました。そして単に、主イイスス・ハリストスが私達をご自分の兄弟姉妹と名付けているだけではありません。私達聖職者も単に皆さんに向かって「兄弟姉妹の皆様」と呼びかけているのではありません。これは演説の形式ではないのです。「これは私達皆が一つのポティール(ハリストスの体血となったぶどう酒と、そこに浸したパンが入っている聖爵(せいしゃく)―トロフィーのような形をした入れ物)から領聖するという事実なのです!」ゲラシム掌院は強調しました。「私達皆はハリストスの体の一部となるのです!私達は互いに兄弟姉妹なのです。ポティールの周りで私達は一致するのです。」

 

凶悪なる者があたかも私達を救いのポティールから遠ざけないように、ハリストスに忠実に留まり、共に支え合わなければなりません。ハリストスと共にいる人は怖がらないのです。言い伝えによると、主はある時こう言われたそうです。「私に近い人は、火に近い、私から遠い人は天の国からも遠い」と。

 

聖列祖の務めというのは、この世がハリストスを受け入れるという、この聖性の賜物に向けてできるだけ準備することでした。

 

今日は特別な聖書の箇所が読まれました。そこでは招かれた人、選ばれた人について書かれています。言うまでもなく聖列祖は神によって選ばれた人々でした。彼らは、己の内に神の恩寵を宿し、ハリストスの到来を予め告げ知らせる最も清まった器だったのです。この神によって選ばれた人々を私達は日曜日に讃美するのです。

 

しかし主が招かれた全ての選ばれた人が主の宴会に来たわけではありません。ある人は土地を買いました。ある人は牛を買いました。他の人は妻をめとりました。彼らは言い逃れをして、宴会に行かない理由を見つけたのです。そしてその時に主は何をなしたでしょう。主は全ての人を集めようとされています。

 

主は「僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります。と言うと、主人は僕に言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない。』(ルカ14:16-24)」

 

これは私達にとって大変慰めに満ちた箇所です。私達は主が私達を貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人の中から呼んで下さるように期待しましょう。私達が宴会に与る人々の中から取り除かれることがないように期待しましょう。私達が招かれた人たちの中にいることができるように期待しましょう。

 

このように列祖を敬いながら、私達はいかに、主の喜びに入るにふさわしい彼らの子孫となるかを考えてみなければなりません。

 

 

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