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2020年11月の説教

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良心の声、これは守護天使の声です

 

11月21日神の大天使ミハイルと他の無形の天軍の会衆祭に旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂でゲラシム(シェフツォフ)掌院により聖体礼儀が執り行われました。

 

伝統にのっとってゲラシム掌院は奉神礼の後、全ての人に祭日のお祝いをし、祭日についてのいくつかの言葉を述べられました。

 

掌院は指摘しました。「この日、私たちは天使たちが人類のためにして下さることを感謝します。トロパリ(讃詞)や多くの祈りの中で、私たちは天使たちを奉事者、人類の教導者と呼んでいます。もちろん主、ご自身が私たちを救います。しかし、日々の生活の中で人を助けるために洗礼の日に私たち一人一人に神の天使が付けられ、天使はその後私たちの全生涯を共にするのです。」

 

聖人伝、特に古代の荒野の修道士の伝記の中には、しばしば聖なる天使たちが修道士の兄弟であり、頻繁に彼らに現れたということが語られています。私たち全てに天使が現れるわけではありませんが、私たちは天使が共にいることを信じています。

 

ゲラシム掌院は強調しました。「そして今日、この特筆すべき日に、天使が私たちから離れることなく、私たちの人生の困難な時に私たちを教導して下さるという、彼らの働きに感謝しなければなりません。」掌院の言葉によれば、良心の声、これは守護天使の声でもあります。この声に私たちは注意を払わなければなりません。

 

良心が何かをしてはいけない、と私たちにささやく時、これは守護天使の声です。この声に従わなければなりません。そうすれば天使は私たちに感謝するでしょう。

 

福たるワシリイの伝記には次のようなことが語られています。聖人は義人の家に石を投げました。そして罪人の家の隅に接吻しました。なぜそのようなことをするのだ、と彼に質問すると、福たる聖人は説明しました。敬虔な人の家には天使が住んでいます。一方で悪鬼は外に立っています。それで私は悪鬼にむかって石をなげたのです。罪人の家には悪鬼が住んでいます、そして天使は外に立って、痛く泣いています。ですから、私は壁に接吻するのではなく、天使に接吻しているのです。それでもやはり天使が離れないからです。

 

全生涯にわたって天使が私たちに同伴して下さり、離れることのなく奉事して下さることのために、天使に感謝しなければなりません。朝と夕、私たちは守護天使への祈りを唱えます。守護天使が私たちと共にいることを忘れないようにしましょう。自分の罪によって天使を悲しませないようにしましょう。神の戒めにそって生きるようにしましょう。そしてその時全ての天使たちは私たちと共に喜ぶのです。私たちに死の時が来るとき、その時守護天使は私たちを魔関に導きます。そして悪鬼が私たちに何も見いだせないように、ハリストスの戒めに従い、自分の良心の声を聴き、聖書を読み、福音書にそって私たちの行いを調べるように努力しましょう。

 

主が皆さん全てを守って下さいますように。

 

***

 

わたしのイコンは「速やかに聞き入れる者」と称せられるでしょう・・・

 

11月22日。「速やかに聞き入れる者」と呼ばれる神の母のイコンの祭日に、旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂でゲラシム(シェフツォフ)掌院により、聖体礼儀が、その後聖なるイコンの前で聖水式モレーベンが執り行われました。

 

ゲラシム掌院はその説教の中で、神の母のイコン「速やかに聞き入れる者」は10-11世紀聖山アトスで書かれ、ドヒアルスキー修道院の食堂の入り口に置かれていた、と語られました。

 

ある時夜中にニルという食糧係があまりにもイコンに近寄ったので、灯明からでる煤(すす)が神生女の顔にかかりました。その時イコンから出る声が聞こえました。「今後はたいまつを灯してここに来てはなりません。わたしのイコンをいぶしてはなりません。」しかしニルは、誰かが彼をからかっているのだろうと思い、すでにお顔をいぶすつもりでいました。その時再び声がしました。「修道士よ、あなたはこの名にふさわしくありません。長い間あなたは不注意に厚顔無恥に私のイコンをいぶしています。」この後ニルは失明しました。そしてその時彼は、実際、不敬虔に行動していたので、自分が悪かったと理解し、顔を伏せ、イコンの前に横たわって、熱心に祈り始めました。翌朝兄弟たちが、彼がそのようにしているのを発見しました。

 

しばらくたって、修道士がイコンの前で涙ながらに祈っている時、彼に声が聞こえました。「ニル、あなたの祈りは聞き入れられました。あなたを赦します。そして再びあなたの目に視力を与えます。修道院の兄弟たちに告げなさい。『私』は彼らの庇護者で、大天使に捧げられた修道院を保護しているのです。彼らと全正教徒は困窮の時に『私』に走りつくように。そうすれば『私』は誰をも捨て置きません。全て『私』を呼び求める人達にとって『私』は『転達者』になり、『私』のとりなしで、『我が子』は彼らの願いを叶えるでしょう。そして私のイコンは『速やかに聞き入れる者』と呼ばれるでしょう。なぜなら、イコンに押し寄せてくる人々全てに、『私』は憐みを施し、速やかに聞くからです。」

 

そしてニルは視力が戻りました。ドヒアルスキー修道院ではイコンを記念して小聖堂のようなものが設置され、その近くに同名の聖堂が建てられ、特別にイコンを崇拝することが制定されました。

 

19世紀ロシアには大変多くのこのイコンのコピーがありました。最も有名なのはネフスキーです。この前で、レニングラードが封鎖された恐ろしい時期に私たちの民衆は祈りました。今日このイコンのコピーはアレクサンドル・ネフスキー大修道院に収められています。

 

ゲラシム掌院は聖書の読みについていくつかお言葉を述べられました。聖書ではハリストスに癒された長血を患う女性について語られていました。ゲラシム掌院は次のように指摘しました。主は私たち一人一人に、人の忍耐力の度合いに応じて、人の信仰に応じて、必要に応じて試練を送られます。しかし、もちろん私たち一人一人に忍耐が足りないのです。ですから主は、忍耐が足りず、自分の悲しみを耐える力がない私たちへの愛から、奇跡のイコンや聖なる不朽体や癒しを送られるのです。私たちは弱い存在ですから、主は私たちの救いのために見える形でのイコンを送って教え諭し、私たちを支えます。それは私たちがこのことをとても必要としているからです。

 

 

私たちは毎回聖体礼儀で成聖者金口イオアンの現存を体験しています。

 

成聖者金口イオアンの記憶日、11月26日に旧カニューシノ村の神品致命者ウラシイ聖堂で掌院ゲラシム(シェフツォフ)により聖体礼儀が執り行われました。

 

奉事の終了後、ゲラシム掌院は参祷者に祭日のお祝いを述べ、成聖者金口イオアンの生涯と著作について話されました。

 

正教の全世界がこの聖人の言葉で祈りを捧げています。主はこの人物にたいそう大きな叡知を吹き込んだので、4世紀後半から5世紀後半にかけて彼が残した言葉や遺作によって、私たちはみなさんと共に聖体礼儀で祈っているのです。

 

成聖者金口イオアンの聖体礼儀は、聖書を除くともっとも世界の異国の言葉に翻訳されているテキストです。

 

成聖者は大変才能豊かな人物で、卓越した雄弁家でした。それで金口という呼称をもらいました。

 

彼はその生涯において、主の戒めの例に倣おうと常に努力してきました。彼の全生涯が神への奉仕に満たされていました。それゆえ主は彼に特別の恩寵を与えました。成聖者金口イオアンは聖書を最もよく理解した人たちの一人です。そしてその時からすでに15世紀以上たちましたが、今に至るまで、彼の学識は私たちを潤しているのです。

 

ある伝承によれば、成聖者の使いが、聖使徒パワェル自身が聖イオアンに自分の書簡を説明しているのを見た、と語られています。

 

成聖者はその苦行的人生を致命者のようにと言ってもよいような形で終えました。彼は権威を持っている人々の罪を暴露したために流刑にされ、アブハジアの領地、カマニで永眠しました。

 

何年かたって皇帝は成聖者金口イオアンの不朽体を移すように命じました。そして主と成聖者に、神に喜ばれる人に対して行われた不当なる行為を赦して下さるように頼みました。

 

聖金口イオアンの不朽体はコンスタンティノープルに憩っています。今日彼の頭はアトス山に保存されています。私たちは毎回聖体礼儀でなる成聖者の現存を経験しています。彼の言葉は私たちを養い、満たし、神の前に敬虔に立つことを助けているのです。

 

***

 

私たちの力は一致の中にあります。

 

聖神降臨祭後第25主日、使徒・福音記者マトフェイの記憶日の11月29日に旧コニューシェノ村の神品致命者ウラシイ聖堂でゲラシム(シェフツォフ)掌院により聖体礼儀が執り行われました。

 

奉事の後、掌院は全ての人に祭日のお祝いをし、ある子供の参祷者には聖名日のお祝いをしました。

 

ゲラシム掌院が指摘したのは、聖体礼儀で読まれた憐れみ深きサマリヤ人のたとえは、私たち一人一人に向けられているということです。ハリストスは常に私たちと共におられ、常に私たちを呼んでおられます。そして主は人々から犠牲ではなく、憐れみを求めていらっしゃるのです。

 

たとえでは盗賊に強奪され半殺しになった信仰を異にする人に憐みを施したサマリヤ人のことが語られています。その際この不幸な「盗賊の手に落ちた」人と信仰を同じくする人々、聖職者、高い社会的地位についている市民は、彼を助けたいと思わず、傍らを通り過ぎてしまい、この人に嫌悪感を持ったのでした。しかし異教徒は助けました。

 

私たちはしばしば、いかにして救われるかということについての質問を耳にします。ここに答があります。自分の隣人に対して憐み深くならなければならないのです。その際、隣人とは全ての人々です。その中には異教徒もいます。そして他の社会的地位についている人々もいます。

 

憐みが全てを覆うのです。「憐れみ深き人はさいわいなり、彼らは憐れみを得んとすればなり。」

 

ゲラシム掌院の言葉によれば、主は毎日地上でご自分の務めをされながら、常に憐みというのは基本的な善行だ、と強調されていました。

 

使徒経で、私たちは使徒パウェルが、私たちは信仰の一致を守らなければならないことについて語っているのを聞きました。

 

信仰の一致と憐れみ、この二つは相互関係にあります。というのも私たちが他人にたいして残酷であればあるほど、私たちはさらに離れていき、さらに細かく分けられるからです。そしてわたしたちが憐み深くあればあるほど、さらに一致し、さらに神に近くなるのです。憐れみ、これは私たちを一致させるものなのです。

 

私たちの力は一致の中にあります。

 

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